アート21教室日記
田屋優・・・・・・画家、現代美術作家  西船橋の絵画教室、研究所主宰               (掲載内容の無断転用禁止)
プロフィール

田屋優

Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。
  画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子、桑原麻理子、伊藤悠里子。
 
「西船絵画教室アート21
 アート21研究所」
http://www.art21japan.jp/

 南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
  

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2017・4・18(火)
「教室日記」
(真贋)

  真贋(しんがん)とは、本物と偽物のこと。

絵の世界で言うと、有名画家の偽物が出回ることは、ひどく日常的だ。
  テレビ番組の「なんでも鑑定団」でも、偽物だと、数千円になることがある。
では、絵の鑑定している人は、絵を描いているから、詳しいのだろうか?

  もっと言うと、

絵描きは、真贋の見分けがつくのだろうか?

  さて、皆さんは、どうお思いか?


結論を言えば、絵描きと鑑定人は、別々な職業ということ。
  絵描きは、いい絵と悪い絵の区別しかできない。
鑑定人は、本物としての善し悪しもあるだろうが、特定の作者、作品に対する造詣が深い。
  ほとんど、学者のような研究者だと言える。
絵描きは、その点、真贋に関しては、ほとんど役に立たない。

  そもそも、本物か偽物かに興味を持たないのが普通だ。
もし、限りなく本物に近ければ、それは、それでいい絵になるし、本物を越えたら、贋作のほうをホメる。
  
  ただし、絵のオリジナリティーという問題があるので、本物を越えても、価値は認めない。



2017・4・11(火)
「教室日記」

  車のバッテリーが上がってしまったため、2日の日曜日に自動車保険のロードサービスに来てもらった。

  半ドアで一週間放置。 完全にカラにしてしまった。  
完全にカラにすると、上がりやすいと言われたが、ホンとかなと、ちょっと思った。

  9日の日曜日に車で出掛けようとしたら、エンジンが掛からない。 何度やってもダメ。


「アチャー!」


  言われて通りになった。



今週は、木曜と金曜の午前に、市川と浦安の老人ホームがある。 
  13年前から、絵の指導に行っているが、間に合いそうもない。 


「また、上がったら、バッテリーを交換したほうがいいですよ」
「交換時期を過ぎていますから」


  ロードサービスの人は、そう言っていた。 

今度は、言うことを聞くしかない。 


  専門家の意見は聞くべし。 
今更ながら、納得。

 
 
2017・4・4(火)
「教室日記」

  一昨日の日曜日に、船橋市の海老川沿いの桜を見に行った。 

上野公園は満開だというのに、船橋市は、まだ、まばら。  海老川の桜も二分咲きか、三分咲きといった案配。
  ちょっと、お花見気分ではなかったが、気の早い連中が、あっちこっちで、ビニールシートを敷いて、宴会たけなわ。
屋台もしっかり出ているので、ようやく、お花見気分になる。 

  ビール片手に、ホタテの串焼きをほおばる。 
私は、初めっから屋台目当て。 桜は期待していなかった。 

  自宅マンションは1階で、庭を出たところに小さな公園がある。 
周りに桜の木が植わっているので、その桜の咲き具合から、海老川も同じだろうと考えていたら、当たっていた。


  桜は春の訪れの象徴だし、新年度の象徴。 
満開の桜は、常に人を和ませ、元気づける。 

  まこと、桜は良きかな。 

そんな気分にしてくれるのは、桜だけではと思えてしまう。 

  日本に生まれて良かった。 

毎年、春にそう思う。




2017・3・28(火)
「教室日記}

  今週の土曜日で、4月になる。 

この時期は、入会者と退会者が慌ただしく入れ替わる時期でもある。 

  教室は、こういった別れと出会いを繰り返してきた。 
今までに在籍した人の数は、大人とキッズ合わせて500人を超す。  
  そういえば、すでに15年目を迎えた。 

大人3人、キッズ17人でスタートした教室は、いまや、ここら辺では大きな教室にカウントされる。 

  開講当時の小学生とは、一緒にお酒を飲んでいる。

小学4年生が、23才になった。 


  教室は、何のためにあるか?

おそらく、いつもそこにあるためだろう。

  最近、そう考えるようになった。



<教室日記>2017・3・21(火)
「教室日記」
<寸断の日々>

  教室の西側の右角に、小物を入れる収納ボックスがある。
筆記用具や文具などの雑貨が、こまごまと詰め込んである。

  ここに、よく私が立ちすくんでいることがある。

端っこなので、わざわざ行くのだが、到着した頃に、何を取りに来たのか、目的を忘れる。
  キッズ教室の時間だと、すぐ後ろで、子供が作業している。
ボーと、立っている私を子供が気味悪がる。

「先生!  そこで、何してるの?」


  大人教室でも、到着する前に、声を掛けられと、まず忘れる。
生徒さんと話し終わると、そのまま戻ってしまうこともある。

  実に厄介だ。


先日、キッズ教室の小学1年の女の子のMちゃんに、頼まれごとをされた。

「Mちゃん!  ちょっと、待っててね」

  と、言って用事を済ましているうちに、Mちゃんのことを忘れた。
しばらくして、Mちゃんを見たら、待機モードで、私をジーと見ていた。


  テレビを見ていると、最近、高齢者向けのコマーシャルが、非常に多い。
関節痛に効く何々とか、夜中に何度もトイレに起きるかたのための飲み薬とか、漏れない何々とか、まあ、多いことこの上なし。

  しかし、もの忘れがヒドいかた向けのコマーシャルは、見たことはない。

なぜだろう?

  この道何10年も研究している研究者もいるだろうに、未だに完成しないのだろうか。
  簡単にはいかない難しい研究なのかもしれないが、もしかして、その方も、長年研究しているうちに、もの忘れがヒドくなり、メガネを探しまわっているうちに一日が終わっているのかも。

  簡単なことほど忘れやすい。

世の中、これほど記憶の寸断に満ち溢れているとは、若い頃、知らなかった。