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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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<教室日記>2015・6・23(火) |
「教室日記」
ただ今、梅雨のジメジメ真っ最中。 晴れる日もあるが、おおむね、一週間のお天気予報は、雨マークが多い、と、思いきや、今年はそうでもない。 今年はカラ梅雨か。 この梅雨を抜けると、あの凄まじい夏が到来すると思うと、ゾッとする。
次回より会員展発表作品の中から、チョイスして作者作品紹介を開始する。 乞うご期待!
さて、このブログを書き出して、8年が経つ。
8年前、わが教室のイラスト講師大野まみさんが、教室ホームページを完成させた。 2007年の7月。
「先生! ホームページが完成しました」 「ブログも作っておきましたので、なんでもいいですから、書いて下さい」 「更新回数が増えると、ネットの上位に行きますので」
というメールが届いた。 当時は、ブログのことも知らなかった。 ブログって何だ? と、思った。 まともに、文章を書いたこともない。
しかし、何か書かなければいけないと思い、短い日記みたいなものから書き出した。 それも毎日。 なぜか、まみ講師が、絶賛してくれた。
「先生! ブロブ読みました。 とても面白いです!」
他の生徒さんの反応も良かった。
ブタが木に登り始めた。
エッチラ、エッチラ。 登れない木に、調子に乗ったブタが登り始めた。
7月の中頃から書き出したブログは、8月初めには、息が切れだした。 ネタ切れ。 毎日、何を書くかで悩んだ。 その毎日は、結局、2009年の4月まで続いた。
今から考えると、よく書いたものだ。
後日、まみ講師が言った。
「先生! 毎日書いているんですか。 私、そんなつもりで言ったんじゃーないんですけど」
そうこうするうち、8月の終わりに思い付いた。 毎日、日記を書くなんてとてもできない。 いっそのこと、絵のことを書こう。 それなら、続けて何か書けそうだ。
こうして、いわゆる 「ブログ講義マラソン」 が、スタートした。
初めは、ただ、アトランダムに書いていた。 が、それでは、また、ネタ切れするような気がし、計画的なった。
カテゴリーを五つに分け、一週間づつ順番に書くようになった。 「研究所レベル」、「大人コース(中・上級)レベル」、「大人コース(初級)レベル」、「キッズコース」、「高齢者のための絵画指導」 である。
それでも、いつまで書くのかは、考えていなかったが、次第にそれぞれを30テーマ書こう。 40テーマにしよう。 いや、50テーマがいい。 と、考え始め、 結局、60テーマを目指すことにした。
合計で300テーマ。
こうして、私としては、過去最高のブログ講義マラソンという、文章による大目標をぶち上げた。 火曜日更新で、火曜日から金曜日までは講義、土曜日は息を抜いてエピソード、日曜日は日記、月曜日は次回の予告とした。
皆さん、ご存知の方が少ないが、このブログ画面の左に「カテゴリー」欄があり、その時の講義集がある。 いつでも閲覧できるので、興味のある方は、読まれたし。
何しろ、文章経験がないので、稚拙な文章だが、一年と八ケ月の苦闘の歴史がそこにある。 当時は毎日更新していたので、どれだけ大変だったか、お分かり頂けるだろう。 なんでそんなことをしたかったのか、未だに不明だが、何かに挑戦したかったのかもしれない。
今日までに、900近い記事を書いてきた。 さすがの駄文家も、少しは、文章が上達したような気がする。 今では、絵を描くことと、文章を書くことは、生活の一部になった。
絵を描くことの他に、文章を書くことが、私の表現手段となった。
40の手習いではない。 50の手習いだった。
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