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アート21教室日記
田屋優・・・・・・画家、現代美術作家  西船橋の絵画教室、研究所主宰               (掲載内容の無断転用禁止)
プロフィール

田屋優

Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。
  画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子、伊藤悠里子。
 
「西船絵画教室アート21
 アート21研究所」
http://www.art21japan.jp/

 南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
  

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<教室日記>2014・5・25(火)
「ブログ講義」
(カンデンスキーが見た夢)

  今週の30日と31日の土日に大人教室の「会員展」がある。 作品発表会。 生徒さんのほとんどが、この会員展目指して一年間頑張る。 
  そのため、5月に入ると受講ラッシュが続く。 出品がギリギリの人が、あせり始めるからだ。 

  田屋も出品するが、昨年は秋の展覧会用のエスキース(試作)を出品した。 今年もその予定だったが、エスキース用の小品を、ドローイング練習のため、描き潰してしまった。 
  旧作ならたくさんあるが、壁サイズが多いため、今年は、自宅の居間に飾っている「楕円」を出品することにした。 
  約20年に亘り、楕円を描いてきたが、この楕円が一作目。 楕円1号。 ここから全てが始まった。



  さて、また、久しぶりにブログ講義をしてみよう。 今回は、抽象画の祖、カンデンスキー。 私が敬愛する画家の一人である。 





  ここに、七つのカタチがある。 丸、四角、バツ、星印、月形、菱形 の七つ。 
この七つのカタチを繰り返し、並び変えて、一つのイメージにせよ。
  
  と、いう問題を出したら、皆さんどうするか。 

立派なアートの出題である。
 

  答えは置いといて、問題の趣旨を言おう。 
これは、2月17日のブログ記事の (一枚の紙と1本の鉛筆でできること) の中で書いた「線の変化」と同じ話である。 

  読んでない方に、一応説明すると、ドローイングの基本練習のこと。

画面上に線を引く。 
  短い線、長い線、太い、細い、曲線、直線、グニャグニャ線など、どのくらい線だけで、変化をつけられるか。 
  画面上のパターンの数をできるだけ増やし、各部分が、一様にならないようにする。 そういう話だった。


  これと同じように七つのカタチを繰り返し、大きくしたり、小さくしたりしながら、パターンを増やす。 
  練習なので、ほとんど上手くいかないが、もし、変化が上手くいけば、何か一つのイメージが浮かび上がって来るはず。 
  それは、まさしく、アート。 
アート作品にもこういうものがある。


  この方法で作品化を目指した者がいる。 

カンデンスキーである。 

  カンデンスキーが目指したものは、画面上のカタチの変化。 変化、変化の連続で、画面をいっぱいに満たすこと。 それが、カンデンスキーが見た夢であった。



  ワシリー・カンデンスキーは、抽象絵画の先駆者として、モンドリアンやマレービッチとともに有名であるが、1910頃から1922年以前の「コンポジション」シリーズでは、画面上のカタチ・線の変化を圧倒的な色彩と構成により表現した。 

  特に、1913年のコンポジションⅥ、Ⅶは、彼の恍惚とした絶叫さえ聞こえてくるようだ。 
  細かく見ていくと、後から何度も加筆した様子がうかがえ、絶叫に至る経緯で、苦しみもだえた様子が見て取れる。 

  変化させ、また変化させることは、精神的な苦痛を伴う。 そう簡単には、変化を続けられず、同じようなカタチの繰り返しになっていくと、精神的にも追い詰められ、しまいには、ノイローゼ状態になるのが、この変化変化の制作である。 

  それに、何とか耐え抜いたら、今度は画面のボリュームとバランスの問題を解決しなければならない。 
  ボリュームとバランスの関係は厄介で、ボリュームを追うとバランスを崩す。 バランスを良くすると、ボリュームがなくなる。
  兼ね合いを探すのが至難の技になるが、カンデンスキーは、これを難なくやってのける。 

「お見事!」 

  という作品を作り出す。 

アートは、いかに粘り、いかに勝利するものなのか、その手本を見るようだ。


  

  確かに、芸術作品がなくても、人は生きていける。 それは間違いない。 

一般大衆にとって、デザインは、色々な分野において広く浸透しているので、デザイン性がなくなると、無味乾燥な生活になる。
  これはシンドい。 だから、デザインは、大衆にとって必要だろう。 

しかし、芸術は、大衆から遠く離れてしまうので、その存在が消失しても、大衆は気が付かないかもしれない。
  それほど、芸術と大衆の距離は遠い。 


カンデンスキーが、見た夢は大衆的ではない。 だから、分からない人には分からない。 残念ながら、一生分からないかもしれない。  
  芸術は、決して大衆に語り掛けない。 ただ、そこにあるが、興味がなければ、存在すら確認できないだろう。
  芸術を求めた者のみが知る精神世界である。 




だから、皆に芸術を分かってほしいとは思わない。 興味がなければ、芸術も何の役にも立たない。 
  しかし、もし、カンデンスキーが無名の画家で、いきなり、コンポジションⅥ、Ⅶと出合ったら、どうだろうか?
  芸術に興味がなくても、かなり驚くのではないか。 「これは、一体なんだろうか?」
  そのくらいの衝撃は、感じると思う。 

私だったら、衝撃は計り知れない。 ハンマーで殴られたくらいの衝撃を感じるだろう。 


  それは、作家が放つ強烈な熱放射であり、芸術が放つ衝撃波でもある。 
  
確かに、芸術は大衆的ではない。 理解する人間も限られてくるが、強烈な芸術という魂は、皆をも巻き込むだけのエネルギーを秘めている。 

  そして、そのエネルギーだけは、誰にでも伝わる。 得体の知れないものとして、人々の心の中に、飛び込んで行く。
  それは、芸術の持つエネルギーであり、芸術の定義を突き詰めると、エネルギーを放射するものということになるから。




  カンデンスキーの見た夢は、魂のエネルギーとして、未だに、人々の琴線を揺さぶり続ける。 


芸術が、なぜ、人類に必要か?


  それは、これほど人の心を強烈に揺さぶるものは、恋する心と芸術しかないからである。





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