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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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<教室日記>2014・5・19(火) |
「教室日記」
私は、自分の絵の気になる所は、徹底的に直すクセがある。 直さないと夜眠れなくなる。 安眠のために直すのである。
自分の絵を、ただ、直すだけなら、人に迷惑を掛けない。 はずである。 しかし、自分の絵を、ただ、直すだけで、人に思いっ切り迷惑を掛けたことがある。
25年以上前になるが、新宿で、あるイベントがあった。 スポンサーは、とあるスキー場。 私にも出演依頼があり、アートパフォーマンスをやることになった。 場所は、当時の丸井デパートファッション館玄関前。 道路を挟んだ向かいは、伊勢丹。 あの大通り。 そこに特設会場が設けられ、観客の前で、スキーにちなんだ絵を描く。 横7メートル高さ3メートルの巨大な画面だ。 ステージは、道路から1メートルくらい高くなっている。 幅は7、8メートルくらいあったが、それだけ大きい画面だと、ステージの端ギリギリの所まで下がっても全体像は確認できない。 確認するためには、信号を渡って、伊勢丹の前まで行かないと、何を描いたのか分からない。
これは、恐怖だった。 観客の前で、自分の描いた絵が確認できないくらい怖いものはない。 期間は三日。 それも一日の作業時間は、合計1時間。 つまり、三日間で3時間。 3時間で、観客が納得するような絵を描かなければならない。
そんな仕事を引き受けたワケは、ひとえにギャラである。 当時は、バブルの絶頂期。 3時間の作業で、中堅のサラリーマンの一ケ月の給料くらいのギャラだった。 途中で後悔したが、時遅し、やるっきゃない。
それでも、一日目は、黄色で、大まかな下描きをしたところで終わったので、問題はなかった。 問題は、二日目だった。 二日目で見通しが付かなかったら、三日目はアウト。 分かりきっていた。 だから、一日目の夜は眠れなかった。 何度も、頭の中で描き方をシュミレーションした。
二日目は、ほとんど勘で描いた。 全体像が分からないので、ただ、ひたすら、勘である。 しかし、運良く、これが、結構上手くいった。 休憩時間に伊勢丹前で確認したら、「まあまあ」 の出来。
私の出番は、一日20分づつの3ステージ。 3ステージ目の私の出番が終了すると、その日のイベントも終了し、5人のスタッフは帰る。 二日目の3ステージ目は、正に正念場。
終了時間になった時、スタッフに頼んで、もう少し描かせてくれと頼んだ。 私としては、一気に方を付けたかった。 今日、峠を越えれば、三日目は楽勝。 ちょちょっと、直していればいい。
「あと、ちょっと」 「もうあと、15分」 と言っては、直し続けた。
ようやく、楽屋裏で待機しているスタッフに終了を告げた時、すでに、2時間は経過していた。
それまで、愛想が良かったスタッフの顔が、引きつっていた。
その後も、直しグセは直らなかった。 直らなかったというよりも、磨きがかかった。 今では制作は教室でやっているが、長く自宅で絵を描いていたことがある。 ドローイング中心で描いていた時は、仕上がりも早く、2週間くらいで絵が出来上がる。
「絵が完成した」
と、思って、ホッとしていると、別の扉が開く。
一ケ月くらい経った頃、女房殿が言う。
「なんか、まだ、直しているけど、あの絵は完成したんじゃないの?」
「やっぱしねエ~ 」 「そうだと思った!」
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