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アート21教室日記
田屋優・・・・・・画家、現代美術作家  西船橋の絵画教室、研究所主宰               (掲載内容の無断転用禁止)
プロフィール

田屋優

Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。
  画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。
 
「西船絵画教室アート21
 アート21研究所」
http://www.art21japan.jp/

 南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
  

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「デッサンが基本」は、本当に正しいか?-4/5 (四章) <研究所レベル>

    [ただ今、9/4(火)より連載中]  


デッサンを基本とした方が良いとの考え方は確かにある。


絵を描いている人間のほとんどが、そう言うと思う。一般的というより確かな経験として。だからって、絵の世界は広い。とんでもない所から、とんでもない人が飛び出してくる。  


    ジミー大西氏の絵を見てると、デッサンをチマチマ描いている人が、アホに見える。半面、ゆったりしたデッサン力を芯にしたフェルメールの写実に心奪われる。今度は、デッサンこそ、絵の骨組みであると思ってしまう。一体なぜだろうと思う。   


   人の琴線は一つではない。それがどうやら答えだろう。それこそ、何十何百もの琴線が用意されていて、あらゆる感覚に対応する。それが、人間の構造ではないだろうか。まあ、それは、確かだろう。


   まず、「人間が感じることが始めにありき。」というになる。確かに、そういう順番だし、それなら、両極端があっても、不思議はない。不思議はないけど、収拾もつかない。


   そこで、そういう琴線があるのが、人間の構造なら、その構造が生み出したのも絵である。琴線が絵を生み出した。琴線がなぜあるか、はその道の専門家に任せるとして、琴線が生み出した絵に理屈があるか、を考えよう。


   つまり、方法論が、はたしてあるか。絵の方法論とは、すなわち、絵という感覚世界の方法論のことである。   残念ながら、今も昔も、感覚を説明できる理屈はない。したがって、感覚に近づく方法論もないのが現状である。方法論がなければ、入り口も当然ないことになる。それでは、絵の指導は出来ないし、絵を学びたい人も困る。   


   絵は感覚世界と述べたが、この感覚世界の中に、実は全ての答えがある。ナイーブアートとアカデミックアートの両極端が存在する理由も、絵の基本が、デッサンか、との問いの答えもこの感覚世界にある。(最終章につづく)

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