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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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<教室日記>2014・3・18(火) |
「ブログ講義」 (ドローイングの描き方)
火曜日の午後4時からのキッズ教室は、今、誰もいない。
昨年の9月から在籍する子供がいなくなった。 それ以前は、小学2年生の女の子が3人いたが、夏の終りに、一人が土曜日に移り、一人が辞めたことで、最後の一人も辞めることになった。 一人ではつまらないからだろう。
以来、火曜日の午後4時から6時までは、私の休憩時間になった。 火曜キッズ教室を希望する問い合わせが何件かあったが、誰もいないので、諦めるようだ。
教室を始めて10年を超えるが、キッズ教室が、丸々カラになったことはなく、リーマンショック以来、子供の在籍数が減ったことに由来するのかは分からないが、何となく、私にとっては、都合がいい。
夜の予約がない火曜日は、午後1時に教室に来て、午後3時か4時には、終わってしまう。 この開放感がいい。 今年の2月には、もっと開放感を味わった。 昼の受講者が二人、予約をキャンセルしてきた。 昼はその二人だけで、たまたま、夜の予約がなかった。 ということは、キッズ教室はないので、一日休講になった。 思わぬ休暇に喜んだ。 別に、働くのがヤダと言っているわけではないが、一労働者としては、単純に嬉しい。
先週の火曜日は、午後1時から3時まで、二人受講者がいた。 夜の予約は午後7時から9時まで一人。 午後3時から7時まで4時間の休憩時間。 自宅に帰って昼寝をしてもオツリがくる。 まあ、実際は、教室でウトウトしてから、駅前にコーヒーを飲みに行ったのだが。 3月初旬の、のどかな一日。 こういう日もあっていい。
さて、忙しく働く皆さんにヒンシュクを買う前に、私も仕事をしよう。 今回の話は、アーカイブ編ではなく、ドローイングの話をしようと思う。
ドローイングは、私の専門とする描き方で、私の絵は、ドローイングを軸としている。 18才の時に、ある本屋で見つけたドローイング作品を見てから、私の絵の描き方が決まった。 自分の感性にピッタリ合う描き方だった。 その後、色々な描き方をしたが、いつも、ドローイングが自分の描き方だと思ってきた。
ドローイングをご存知ない方に、どんな描き方か、一応ご説明しよう。 ドローイングを辞書で引くと、「単色の線で、簡単な図をかくこと、または、デッサン」 とある。 つまり、描き込んだりしない描き方ということ。 逆は、油絵のように描き込んでいくぺインテイング。 怒られるかもしれないが、書道をドローイングと言えなくもない。
従来、ドローイングは、作品扱いされなかったが、近年、現代美術系で、ドローイングの有効性が再認識され、その価値が高まるとともに、ドローイング作品としての位置づけが確定した。
ドローイングの長所は、感情表現を出しやすいこと。 非常に感覚的な絵が描けること。 短所は、作品の濃密性が薄くなりがちなこと。 そのため、大量に描いて、その中から、感覚的で、濃密性の高い作品を選ぶやり方が一般的。 しかし、大量に描くことは、大きな作品を描く場合、甚だ都合が悪い。 それで、私の場合は、ドローイングとぺインテイングの組み合わせで描く方法を選択している。
描き方としては、早く描くことだろう。 私は、早く描くが、たぶん、皆、そうではないだろうか。 私が、ドローイング描写をする時は、頭を「無」にして描く。 ドローイング描写は、非常にホットな描き方なので、感覚が非常に出やすい。 そのため、感覚をより出やすくするためには、頭をカラにする必要がある。
何も考えないで、感じるまま、手の動くままに描く。 そういう、「無」の空間しか、冴えた感覚は捉えられないと、考えている。
現代人は、あらゆる情報の中で生きている。 自分が何か新しいことをしたつもりでも、どこかで見たことがあるものかもしれない。 だから、考えたらアテにできない。 考えたら、何かの影響が出る可能性は高い。
「無」の中にこそ、純粋な感覚が潜む。
そう、考えるのだが、頭の中をカラにするのは、結構、難しい。 ゆっくり描いては、ダメだ。 ゆっくり描くと、考えてしまう。 考えるより早く描く。 何も考えないようにして、早く描くと、相当な確立で頭がカラになる。
しかし、世の中色々、人も色々。 私のように意識的にやる人間ばかりではない。 平然とやってのける人間がいるので、たまげる。
教室のイラストの先生である大野まみ講師だ。
彼女は、ドロ-イングを描く。 ドローイングは、20年前にこの私が教えた。 当然、考えないで描くように指導したが、性格的なものだろうか、見事に実践している。
「描く時は、何も考えていません」
そう言い切る。
私は、考えないように努力するので、少しは考えているようだ。 しかし、彼女は、完全に頭の中をカラにできる。 だから、私のドローイングより大野まみ講師のドローイングのほうが、より感覚的だ。 感覚的というより感覚そのものが、画面上に散らばっている。
それが、どれほど素晴らしいことか、お分かりだろうか? 絵は、技術で描くもの。 そう、思っていることだろう。 それは、確かに当たっている。 感覚と技術が融合して、一つの絵が生まれる。 それは、それでいい。
でも、感覚が一人歩きできたら、これは、スゴイこと。 それほど、感覚的な絵には価値がある。 以前、絵のあまり上手でない小学2年生の男の子が、キッズ教室にいた。 絵はほとんどなぶり描き。 本人も絵はヘタだと思っているせいか、丁寧に描こうとせず、いつも、あっという間に描いてしまう。 だから、もっと丁寧に描くように言っていたが、直らなかった。
ある日、その子が描いた絵を見て仰天した。 風景の中に人がいる絵だったが、ドローイング描写の手本のような絵を描いた。 しばらく、その絵を眺めて立ちつくした。
「こう描くのか!」
筆運びが、この上なく雑だったが、画面の中で生き生きとしていた。 人物の崩れかかった顔、体が、風景の中に溶け込み、描き殴られた色の中で、踊っていた。 傑作だった。
「先生! こうやって描くんだよ!」
その絵が、私にそう言っていた。
私が、描きたい理想的な絵の描き方が、そこにあった。 模写しようかと思ったほどだ。
私は、私なりのドローイングを描く。 私の専門の描き方なので、自信はある。
しかし、その子よりいいドローイングを描いたことは、一度もない。
残念ながら。
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テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術
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