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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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<教室日記>2014・2・18(火) |
(ブログ講義) (細かいところに目を奪われるな)アーカイブー2008年10月23日のブログより
またまた、雪が凄かった。 週末の大雪。 金曜日朝から振り出した雪は、初め大したことはなかったが、先々週のことがあるので、この日の午前の老人ホーム行きはキャンセルした。 新浦安の老人ホームなので、湾岸道路を利用する。 雪で渋滞したら堪らない。
結局、午後1時からの教室に行った頃もそれほどではなかったが、間断なく降る雪は、次第に積り出した。 午後9時。 お仕事終了。 駅に向かう。 見事な雪景色が出来上がっていた。
さて、キッズ教室について、最近、あまり記事を載せていなかったので、そんな話をちょっとしてみよう。 水曜教室のYちゃんの話。
金曜教室に、水曜教室のYちゃんが振替でやって来た。
水曜教室は、女の子ばかり7人。 小学5年生を除き、1年生から6年生まで万遍なくいる。 Yちゃんは2年生。 1年生で入会した頃は、ほとんど、しゃべらず、大人しい子に思えた。 感情を表に出さず、言われた通りにやっていた。 その頃は3年生、5年生の3人だけ。 他の子が午後4時に来て、5時30分に帰ったが、Yちゃんは、小学校が少し遠く、時々、4時30分から6時までの受講になる時があった。
他の子が帰った5時30分から6時までは一人。 いつも大人しくしていた。 Yちゃんが変わり始めたのは、2年生になった夏頃から。 感情を表に出すようになった。 今まで溜め込んでいたものが、少しづつ噴き出したのだろうが、それでも、大きい子が帰った5時30分から6時に限っていた。
5時30分から6時の間は、騒ぎに騒ぐ。 うるさいったらありゃしない。 4時から来る4年生のKちゃんに、Yちゃんが、皆が帰ったあと騒いでうるさいと言っても信じなかった。 ある時、Kちゃんが6時までいたことがある。 もちろん、Yちゃんがいる。
Yちゃんがいつものように騒ぎ出した。 全然言うことを聞かない。 それを見たKちゃんが、あきれて言った。
「先生の言ったこと、分かるような気がする」
今では、勢いづき、大きい子がいても騒ぐ。 やっと本性を現した。
さて、Yちゃんが振替に来た金曜教室は、お休みの子がいて、その時は、小学3年生の女の子と1年生の男の子R君の二人だけ。 Yちゃん、初めから飛ばす。 R君は、Yちゃんを気に入ったのか、追っかけ回してじゃれ付く。 一人っ子なので、おねーちゃんと遊んでいる気分なのだろう。
私が、絵を描くよう、注意してもきかない。 二人でじゃれていたが、R君があまりに、ひつっこくじゃれ付くので、Yちゃんは面倒臭くなったのだろう。 とうとう、こんなことを言った。
「あっちへおいき!」 「ぼーや!!」
さて、今回のブログ講義は、「細かいところに目を奪われるな」。 2008年10月23日のブログからの抜粋である。 2008年は、505号室から現在の502号室に引っ越して来た年。 3月に引越した。 もうだいぶ前になる。 当時は、こんな記事を書いていたのかと、感慨にふけってしまう。 私もふけたけど。
では、始めよう。
これについては、教室でも何度も注意していることであるが、中々直せないようである。 結構慣れた人でも、直らないのは、癖のようなものかもしれない。 なぜか、皆、今描いているところに、力を入れてしまう。
細かいところに目を奪われてはいけない理由は、お分かりだろう。 これが分からないと、先に進めないので、一応簡単に説明する。
簡単に言うと、絵は全体が大事であるということ。 絵はメッセージなので、部分に凝ってみても何の意味も持たない。 全体から受けるイメージこそがメッセージとなり、鑑賞者に伝わる。
この簡単な理屈を、制作中は忘れる。
なぜ、忘れてしまうかも、簡単な理由がある。
絵を描いている本人は、画面の全ての所を描いている。 すると、場所によっては、上手くいったり、また思い入れのある所などが発生して、そこに力が入ってしまう。 ついついの連続で部分に固執してしまうということ。
説明すると簡単だが、これを直すのは大変である。 なぜなら、絵は全体が大事であるということを十分理解してないと、中々直らない。
絵は、思い入れで描くもの。 この思い入れの気持ちは、本来強いもので、その思い入れが、部分に向かった場合、全体の方が大事であるという理屈が、勝てるかどうかである。 まあいいかと思ったら、全体は壊れる。
だから、絵は全体が大事であるということを、常に思い起こさなければならない。
とは言っても、言うは易し、中々実行出来るものでもない。 10年以上描いている人でも、どのくらい実行できるか、甚だ、疑問に思う。 それで絵を理解していないとできない話ということになる。 知ることは、今日から出来る。 しかし、理解となると、いつかは分からない。
では、どうしたらよいだろうか?
そこで、一つの案を提案する。
絵は全体が大事であるということを理解するまで、手立てがないのでは、困る。 それで、最初の下書き・初期段階の着色(水彩なら描き出しの薄塗り段階)から、いよいよ制作の中心に入る時に、絵を立てて離れたところから見てほしい。
そして、その次の作業をイメージすること。 どこをどうやって描くか、作戦を練る。 同時に制作スケジュールを考える。 つまり、離れた所から見ることによって、常に全体に目が行くように仕向けるのである。
細かいところに目を奪われるということは、部分ばかり見ているからに他ならない。 だから、これを直すには、離れた所から見るしかない。 常に全体を見るクセをつけるということ。 そして、制作の局面になったら、作業を止め、考え、そして全体を見る。 制作は、常に冷静でなければならない。 絵に出る感情とは別に、制作者としての冷静な感覚は、誰しもが持っている。
この冷静な感覚を磨くことは、絵が上手く描けることより大事である。 冷静な感覚、冷静な考え方、冷静な作業手順。 このことを肝に銘じよう。 そういう姿勢で常に制作に臨めば、絵の上達は、自然に向こうからやって来る。
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テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術
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