プロフィール
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/ 南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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<教室日記>2013・12・10(火)
<教室日記> (画面の作り方) (先週からの続き ) さて、話を本題に戻そう。 つまり、 ① 、 ② 、 ③ の画面右側半分は、目の最初の通り道として構成されている。 ③ は、画面中央へと繋がる部分であるし、また、右側の部分のボリュームをここで出している。 下、三つの楕円のすぐ上の根っこがゴチャゴチャしている所は、 ② の部分との相乗効果で賑やかさを出している。 上部の木の隙間から見える空も賑やかさを出すことに一役かっている。 では、右側や上の部分が賑やかだとどうなのか? という疑問が湧く。 当然の疑問だと思うが、絵を描く上で寂しい絵を描いてはいけないという教えがある。 寂しいとは、孤独な絵とか、寂しげにしている人を描くなということではなく、絵として要素が足りない状態を「寂しい」と表現する。 何となくお分かりだろう。 「もうちょっと、描き込めよ」 と思えるような絵を見たら、消化不良になる。 そのため、必要最小限の要素は描かなければならないが、画面右側だと少ない量で賑やかな要素を盛り込むことができる。 左側で賑やかさを出そうとすると、相当描き入れないとならない。 したがって、逆にたくさん描き込みたい時は、右側ではなく左側に描き込むとたくさん入る。 右側でそれをやると、画面がパンクする。 話を戻すと、中央のほぼド真ん中にシダ系の葉っぱがある。 この所は、画面の真ん中に位置するため、「画面の目」と思って頂きたい。 この所に何もないと、画面がぼやけるので、ド真ん中は、画面のポイントと覚えるといいと思う。 ポイントは必要ということ。 あらゆる絵には真ん中にそれとなく、何かが描かれている。 そうやって、ポイントを何気なく作るのが、制作のテクニックになる。 さて、左側の説明に移ろう。⑦ 、 ⑧ 、は中央の支えになっている。 がっしりと二股に分かれて画面の安定を演出するとともに、画面に動きを与えている。 右に向かう木と左に向かう木の分岐点であり、また、それを象徴するかのように、一番手前でガジュマルの木をアピールしている。 この二本の枝は重要な枝で、この二本の枝が、もしなかったとすると、この作品は成立しない。 ⑥ およびその下の部分も、 ⑦ と ⑧ を支えている。 また、ボリュームを司る所なので、 ⑦ と ⑧ を受けて、がっしりと安定している。 ⑩ も何気なく描いてあるが、 ⑦ と ⑧ をがっしりと支えている。 ここは左の抑えの所なので、木の太さがちょうどいい塩梅になっている。 これが、右側にあったのではうるさい。 ⑨ は、二ケ所あるが ⑦ と ⑧ の支えである。 ⑦ と ⑧ に絡みつくように描かれているが、これがないと ⑦ と ⑧ は完全に浮いてしまう。 ④ は前述したように目を詰めて、画面の抑えになっている。 ⑤ の部分は、ここは抑えの部分なので、向こうの景色はちらっと見える程度でいい。 しかし、遠方の景色はしっかりと描かれている。 ここは、 ① と比べると抑えの所なので、後ろの方の木もハッキリと描かれているが、うるさくない。 ① の一番右の木が光線でぼやけているのと対照的なのがお分かりだろう。 では、まとめよう。 この「ガジュマルの木」の作品は、単純に右と中央と左で構成されている。 そして、主題は木全体であるが、絞り込むと真ん中の二本の枝になる。 つまり、この二本の枝のために、右側があり、左側がある。 作者は、そういうつもりではなかったと思うが、結果的にそういう作りになっている。 構成が単純であるため、非常に見やすくなっており、分かりやすくなっているが、細部がしっかりしているので、見やすさと、分かりやすさと、複雑さが入り混じって、それが、全体に心地よいハーモニーを醸し出している。 そこが、私がもっとも気に入っているところでもある。 と、ここまでがこの絵の解説である。 では、右側の役目、左側の役目が本当なのか、検証してみよう。 下の絵は、左右を反転している。 ご覧になってお分かりだと思うが、妙な絵になっている。 右側は詰めているので、息苦しく、左側はそのまま左のほうに抜けて行ってしまうようで、物足りない。 また、中央の枝も右に流れるのではなく、左に流れるのが、画面の安定上いいように思うが、右寄りのため、右が何となく重いような気もする。 ここで、画面の基礎知識をもう一つ追加しよう。 「右は、左より重たい」 反転した途端に重く感じるのは、重力場が画面右側にあるから。 画面には重力場がある。 重力が重い所。 重力場はもう一つある。 画面の下。 つまり、重力場は、画面右側と下部にある。 しかし、前述したように下部はボリュームを出す所なので、少ない量でボリュームが出る。 逆に、左側には重力場がないので、重いものを置くことができるし、重いものを置くとボリュームが出る。 反転していない元の絵をご覧になればお分かりだと思うが、画面上部のうっそうとした重みと、下部のしっかりしてはいるが、上部より軽く描がかれている重みとを比較すると、画面上ではトントンになる。 左右もトントン。 このように画面上の重力場を計算して、安定を図ることを「バランスをとる」 と言う。 真っ白い画面には、初めから重力場が存在する。 だから、構図というものが発生する。 構図とは、画面上の重力場を利用して、分割しバランスをとること。 したがって、絵を反転させると、あらゆるものが逆に働く。 目の通り道が逆になり、重力場が逆になり、視覚的効果を失う。 ここで余談だが、ある日生徒さんが家で描いた絵を持ってきたことがある。 感想を聞かれた。 女の人が部屋で椅子に座っているところの絵である。 フローリングの床に窓がありカーテンがある。 右側がガラガラ。 左側に家具などが置いてある。 「なんとも、寂しい絵だな」 と思った。 「この絵は、左右逆の構成だね」 と言った。 そして、その絵を鏡に写して見せた。 「あっ! 本当だ」 と生徒さんが驚いた。 「逆のほうがまとまっている」 「へエー! 何でだ?」 絵の知識は、感覚を基にしている。 したがって、この生徒さんもいつかは気がつくかもしれないが、予め知っていれば、画面上の配置について、もっと気配りがあっただろう。 やはり、知っておいたほうが時間の節約になる。 何世紀にも亘って得られた知識が、後世の人の知識となり、時間を節約している。 遠近法を自分で発見していたら、それだけで一生掛かってしまう。 だから、そういう考え方があるのだということを知っているだけでも違いが出る。 理解するには時間が掛かるが、無駄な疑問を抱かないで済む。 今回の解説を一発で分かる人は少ないと思う。 また、画面の基礎知識は大まかな捉え方であって、作品によって画面上の判断も違ってくる。 左抑えではなく、右抑えだと判断は、複雑化する。 基本的な考え方はいっしょでも、判断が違ってくる。 画面から受ける感覚が、作品によってその都度違う。 しかし、そういう風に作っていくのだということを知っただけで、良しとしよう。 いずれ分かる時が来る。 その時は、前準備があるので、素直に喉を通る。 さて、と、いうことで、「ガジュマルの木」の解説を終了する。 参考になっただろうか。 残念ながら、人間の目はさほど優れていない。 真っ白い画面を平均して見ることができないように作られている。 偏って見えるのだ。 しかし、こういうことが認識されたのは、ヨーロッパの美術史でも近年になってからだろう。 画面上の違和感を修正する作業が行われ出したのは、おそらく本格的には19世紀辺りからだと思う。 なぜなら、それ以前の画面作りには妙なものが多い。 そのため、今の絵画教室での洋画の考え方は、19世紀後期印象派以後の考え方を洋画の考え方と捉えているようだ。 それが、今回ご説明した画面の作り方になる。 これは、あくまでも感覚を具体的に言葉にしたのであるが、なぜか、そういう解説を見たことがない。 絵を描くということは、真っ白い画面のゆがみを修正し、その視覚的傾向を正しく平均化しながら「美」を目指すということ。 それが、絵を描くということ。 したがって、その傾向を知ることが制作技術という今回の話である。
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テーマ:アート - ジャンル:学問・文化・芸術