[ただ今、9/4(火)より連載中] (序章つづき)
わが教室でよくある例を出してみよう。 初心者には、ガラスの瓶を描いてもらうことが多い。普通のワインボトルであるが、断面は丸い。真下と真上は丸いが、それを横から見ると、ボトルは、楕円の集まりである。底の方は楕円が厚く、上は薄くなる。デッサンであるから、これを、描くことになる。
ところが、この楕円が上手く描けない。ヘタだからではない。脳に楕円の情報がほとんどないからである。
目が薄い楕円の情報を伝えたとする。脳はそれを、一番近い楕円の情報と照らし、手に伝える。これが、目が見たものと、合致しない。薄い楕円は通常、人の頭の中に情報としてないのである。結構、厚い楕円の情報しかない。だから、脳は、目が見た薄い楕円を認識できない。そこで、情報の中から厚い楕円を一番近いと判断する。したがって、描いたデッサンは、厚い楕円の集まりになる。妙なワインボトルが出来上がる。
それを、講師が指摘すると、「あっ!ほんとだ!でも、どうして?」ということになる。描いた本人は、ちゃんと見て、描いているわけだから、驚く。これが、カラクリである。
デッサンの効能のいま一つには、この、<脳の情報を更新する>がある。薄い楕円があることに気付けば、更新される。つまり、デッサンをするということは、この更新の繰り返しをする、という意味もある。
写実を描く人が、画面を消しゴムのカスだらけにしている光景をよく見かける。これは、訂正を繰り返しているためであるが、同時に脳も消しゴムのカスだらけなのである。目が見たものに、限りなく近づけること、写実とは、脳の情報次第なのである。
さて、ここまでだと、デッサンは絶対必要に思えてくるし、「絵の基本はデッサン」であると、言えそうだ。さて、どうか? (二章につづく)
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