絵手紙で、大事なのは、誰かに送ることが、前提になっている点です。つまり、相手がいること、そして、描かれたものは、その送り先へのメッセージである点です。
これは、どういうことかといいますと、絵手紙は、上手く描くことよりも、まず、何を描いたかが、重要であるということです。キュウリを描いたつもりが、バナナに見えたり、りんごが、梨に見えたりしては、まずいわけです。
これが、絵手紙の絵の基本でしょう。何を描いたか。欲をいえば、食べ物なら、美味しそうに、描けてれば、申し分ありません。
絵手紙がメッセージなのは、この点です。気持ちをハガキに描く。上手いヘタでは、ありません。むしろ、上手だと、いやらしくなります。
この、気持ちを描く、真心を描く、というのは、実は、絵というものの、真髄なのです。技術でなく、つたなく描かれた絵手紙に、心打たれることは、往々にしてあることです。絵手紙の真の難しさは、ここにあると、私は思います。
ですから、絵手紙は、高齢者ほど、味が出せると、思っています。
さて、絵だけでは、絵手紙になりません。言葉を添えます。言葉は、絵を描いてから、添えることにしましょう。
「本当は、美味しそうな柿なんだけど、上手く描けなかった」なんて、書いたら、すてきな文章では、ありませんか。それだけで、何か、暖かい気持ちになります。
失敗を文章にする。思い出を言葉にする。
絵手紙とは、自分の生きてきた、証、思い出、感激、季節、時代を、一枚のハガキに託す、絵日記なのです。
過去を、現在を、そして、未来を優しく見守る、内なる心の絵日記と思えば、皆さん、描くこと、そして、書くことは、山ほどあるのでは。
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