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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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アート徒然日記 ‘11/08/23(火) |
<アート徒然日記―3>
この日記も次回から、また、しばらくアート講義をしようと思う。 たまたま思い浮かんだことがあり、書き留めて置こうとのこと。 今回は、夏の最後のような気持ちから、近況報告というところである。
さて、昨日で教室の夏休みも終わり、今日からまた教室が始まる。
教室の授業が始まることが、嫌ではないが、この夏休みに制作が思ったより、はかどらなかったので、中途半端な気持ちでいる。 中途半端な気持ちのまま、教室のドアから生徒さんがドカドカと入ってくる感じである。 特に8月は、キッズコースの午前授業があるため、休み明けの最初が、午前10時からのキッズコースなので、余計そんな感じがする。 私の身勝手な気持ちであるが。
具象画の5作目は、「パーテイー」という題で、絵を描こうと思い、4作目の「真夜中の蜃気楼」が仕上がってから、取り掛かり始めた。 「真夜中の蜃気楼」のサイズより少し大きめの額があり、そのマットの大きさに合わせたものを何度か下塗りしてある。 元々は、楕円が描いてあった。
20年くらい前に、やはり「パーテイー」という題の抽象画を描いた。 楕円を描き出す前である。 なぜか私は、「パーテイー」とか「サーカス」とか描きたがる傾向がある。 20年経っても同じような主題を選ぶので、こういうものを描きたいのであろう。 意味は何となく分かる。
楕円を描いている時もそうであったが、画面上に色々なものが複雑に交錯している状態が好きである。 複雑なほど良い。 「パーテイー」とか「サーカス」は、人や物が複雑に絡みやすい。 それで、すぐに頭に浮かぶのだろう。
しかし、どんなに複雑にしても整理していくと、必ず少し落ち着いてしまう。 つまり、パワーが落ちる。 そのため、最初の描き始めの状態は、収拾が絶対に付かないくらいでないと、仕上がりの出来は、期待できそうにない。 が、このことが厄介な問題で、複雑過ぎて仕上がらない恐怖と闘う羽目になる。 今は良いが、これが展覧会出品のための絵であったら、堪らない。 それで、描き始めたら必ず仕上げることにしている。 そういうクセをつけて保険を掛けようと言う訳である。 必ずしもこういう方法が正解ではないが、今は必要であろうと考えるため、ひとたび、行き詰ると、相当にキツい話になっていく。
今も、「パーテイー」で難航している。 出だしの感覚が掴めないのである。 まだ、具象画のイメージを掴んでいないため、幾重にも下塗りした画面に、知らん顔されると、ほとんど、お手上げ状態になる。 どうしたらいいのか、悩みはつのるばかり。 話は変わるが、大分前に「ヒロ ヤマガタ」の絵を新宿のデパートで展示していた。 彼の絵は、いわゆるナイーブアート(純粋美術として扱われない絵、または個人的な絵)と言われるもので、画面の中には、たくさんのものが色々と描き込まれているが、複雑な絵かと言えば、そうでもない。
なぜなら、絵の構成要素が単純なのである。 似たような要素がカタチを変えて、いっぱい突っ込まれている状態と言える。 一見、複雑そうに見えるが、似たような要素を取り除くと、意外とシンプルな本体が出てくる。 これでは、ファインアート(純粋美術)と呼べない。 ナイーブアートと言われる所以がそこにある。
そこへいくと、カンデンスキーは、すごい。
教室に美術史の本があり、その中にカンデンスキーの「「コンポジションⅦ」のためのスケッチⅠ」(1913年作)という抽象画の作品写真が載っている。 この絵は、後に針金みたいな絵を描く前の絵であるが、違う要素をぎっしり画面に突っ込んである。 足し算方式で画面に突っ込んであるので、だいたい、描いて行った順番は分かるのだが、それを、見事に整理してある。
「お見事!」
と見るたびに思う。 この手の絵の描き方は、違う要素をいかに増やして、整理するかだけに掛かっている。 目的は簡単であるが、仕上げは、至難のワザである。 まず、ボリュームがないとならない。 ボリュームを出すには、要素がたくさんいる。 その要素がそれぞれの場所でダブってはならない。 変化、変化の連続でないとならない。 その上、一つとして無駄なものは描いてはならない。 これが、この絵を描くための制約である。
いわゆる、抽象画の基本ルールと言える。 抽象画にも色々あるが、おおむね、抽象画家は、この基本ルールで描くことになる。 具象画も似たようなものだが、抽象画の場合は、このルールがよりシビアである。
描き出しは、それほど難しくない。 中盤も終盤も苦労はするだろうが、まあまあ。 難しいのは、最後の最後。 最後のワンピースが入らないのである。 これで、皆、苦労する。 最後のワンピースがピタッと入れば、カンデンスキーのこの絵のように、傑作として歴史に残る。 カンデンスキーが思い悩みながら、描いた様子が目に浮かぶ。 これだけのお腹一杯になるような絵を描くには、相当な悩みと絶望が伴う。 一つ一つの要素の中にカンデンスキーの苦悩が見て取れる。 芸術とは、悩みの結論と言えるかもしれない。 芸術の捉え方は色々だが、この絵の場合は、特にそう思う。 作者が難題に勝利した甘い香りが、苦悩の淀んだ匂いと混ざり合い、画面全体に漂っている。 芸術の香りである。 芸術の香りは、甘すぎないのである。 芸術とは、悩みの結論。 そういえば、わが師匠の映周先生も、同じようなことを言っていた。
何か、元気が出てきた。
カンデンスキーに元気をもらったかもしれない。 まだまだ、私は青臭い。 未熟。
カンデンスキー先生がここにいたら、きっと、こう言うに違いない。
「君! まだまだ悩みが足りないよ」
田屋のアート講義は、‘09/4/23(木)を以って終了しました。
「研究所レベル」・「大人コース(中・上級)レベル」・「大人コース(初級)レベル」・「キッズコース」・「高齢者のための絵画指導」の五講義(各60テーマ)は、左欄のカテゴリーで、閲覧出来ます。
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