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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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アート講義(番外編・総合) ‘11/04/18(月) |
<絵の理屈>
どんなものにでも、理屈はあるという話をしよう。
当然、絵にも理屈はある。
一般的に言って、絵には理屈がないと思われているかもしれない。 「絵は感覚で描くもので、理屈じゃないよ」と、どこかのお偉い先生に言われそうであるが、こういう先生だって、実は理屈で描いているのである。 言いたいことは分かるが、当たっていない。
絵を感覚100%で描けたら、それは素晴らしいことであるし、そうありたいと思うが、残念なことに、現実は甘くない。 感覚100%で描けるのは、小学生以下の園児か、文明社会と断絶した種族くらいしかないであろう。 純真なもの純粋なものは、人の心を打つ。 それは間違いないが、それだけでもない。 より高度な、より複雑な感情の伝達も人の心を打つ。 そのために、ワザを磨こうとすることが絵であると言える。
つまり、絵の制作は感覚半分、理屈半分と言って良い。 感覚を理屈でくるんで膨らますイメージである。 そうすることによりボリュームを持たせる。
この理屈には、感覚以外のすべてが当てはまる。 理屈なので考えたことという意味になる。
分かりやすいように、例を取ろう。 例えば夕陽が美しいと思うとする。 美しいと思うこと。 これは感覚である。 感じたのであるから正に感覚そのもの。 これを感覚にまかせて、紙に赤い丸を描いたとする。 何度も何度も描いてみるが、中々夕陽の美しさには遠く及ばない。 そこで、どうしたら夕陽の美しさが出せるのかと考える。 その考える行為から理屈になっていく。 ただ、赤い丸を描いたのでは、日の丸になってしまう。 赤が鮮やかなのは、周りの色が関係しているのではと考える。 黄色やオレンジ色、またその上のほうの青く澄み切った空の色。 それら全ての色が調和して、赤い夕陽を際立たせている。 と気付く。
実際、こんなに速く学習する人はいないが、早回しにすると、感覚を他の要素でくるんでいく様子がお分かり頂けると思う。 つまり、こうやって膨らましていくのである。 この人は、そのうち、構図にも気が付き、筆運びが重要なことも気が付き、もっと微妙な色の変化にも気が付くことになる。
絵の理屈とは、考えることである。 考えることによって絵は良くなっていく。 感じたら後は考える。 考えながら描き、描きながら感じ、また考える。 これを繰り返す。 感じること、つまり感覚が羅針盤のような働きをするので、感じている間は方向を間違えない。 絵の制作は意外と頭を使う。 ただ、感情にまかせて描けば絵は描けると思っているのは、初期の段階であり、そんな単純なやり方では、すぐに行き詰まってしまう。
ただし、ときたま妙な人がおり、何でも理屈から入っていく人がいる。 こういうのは頂けない。 誰とは言わないが、わが教室にも一人いて、閉口している。 羅針盤がなくて航海に出るようなものなので、時々とんでもない所に行き着く。
「バッカじゃないの!」 と、言えないのが残念である。
田屋のアート講義は、‘09/4/23(木)を以って終了しました。
「研究所レベル」・「大人コース(中・上級)レベル」・「大人コース(初級)レベル」・「キッズコース」・「高齢者のための絵画指導」の五講義(各60テーマ)は、左欄のカテゴリーで、閲覧出来ます。
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