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アート21教室日記
田屋優・・・・・・画家、現代美術作家  西船橋の絵画教室、研究所主宰               (掲載内容の無断転用禁止)
プロフィール

田屋優

Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。
  画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。
 
「西船絵画教室アート21
 アート21研究所」
http://www.art21japan.jp/

 南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
  

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阿佐ヶ谷の喫茶店の一番奥の席に、永島慎二先生が、座っていた。<エピソード>

    7,8年以上前になるか、私が、まだ阿佐ヶ谷で、絵画教室をやっている頃である。


阿佐ヶ谷の教室は、夜、6時からであった。


すでに、阿佐ヶ谷から船橋に引っ越していて、1時間かけて通っていた。早く着いたので、喫茶店に入った。ちょっとコーヒを、というのがいい。


 席を物色していると、一番奥で、入り口に向かって座っている人物を発見。永島慎二先生である。「先生、お久しぶりです。」と挨拶する。


    知る人ぞ、知る漫画家である。70年安保世代の漫画愛好家にとって、神様的存在である(知らない人は、ネットで検索すると、ドッと情報が出てくる)。


    私が先生と知り合ったのは、まだ、22歳の学生であった。そのうち、私も武蔵野市の実家を出て、阿佐ヶ谷に一人移り住んだ。当時、阿佐ヶ谷の夜の飲み屋では、芸術談義、漫画談義、音楽談義が飛び交い、石を投げれば、アーテイストか、アーテイストの卵に当たった。


    そのぐらい、何かしてますヤングマン、ヤングガールが多かった。私もそのうちの一人であった。青春してたわけです。


    永島先生とは、久しぶりであった。私は、絵を教えながら、展覧会に発表する絵を描いていると告げた。


  「田屋君、頑張ったら、ダメだよ。のんびり行きなさい。」、先生はそう言った。いまだに、その意味が分からない。


  先生は生来のなまけ者である。ぶらぶらして、人間を観察するのが、好きなようである。だから、そんな、のんびりしたことを言ったのか、それとも、何か達観した考え方なのか、いまだに、分からない。


    それが、先生に会った最後になってしまった。不義理者の私は、人から聞くまで、二ヶ月近く、先生が亡くなったのを知らなかった。訃報を聞いた時、切ない気持ちを抑えられなかった。私の阿佐ヶ谷時代の青春が、終わったと思った。記憶は、私の知らないところで、引きずっていた。


  あの時代、私の心の中に先生が密接に絡んでいた。先生は、若者の青春の象徴であった。あそこにいたものは、たぶん、皆、そうではなかったか。


    永島先生は、なつかしい記憶とともに、飛び立ってしまった。18歳の時、友達の井上が見せてくれた、「漫画家残酷物語」。「この人、すごいぞ!」と言っていた、友達の目の輝きを、ふと思い出した。

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