昨日は一日雨。温度も低い。今日から土曜日まで、日記調思い出話をしましょう。
私は、高校の時、外国映画狂であった。
吉祥寺の、オデオン座の3本立てを見るのが、私の日曜日の日課であった。スターの似顔絵を描くのを趣味としていた。たくさん描いた。大学一年の時、父の映周先生に似顔絵を描くのを、禁止されてしまった。デッサンは二十歳まで禁止。
スケッチをするよう言われた。他にすることがないので、しかたなく、スケッチした。
スケッチもたくさん描いた。デッサンをやってないので、上手く形がとれない。それでいいと、師匠は言う。
学生なので時間はある。ありとあらゆる所で、描いた。電車の中、授業中、ラーメン屋でラーメンくるまで、映画館、新宿駅、夜の歩道、車道。公園、喫茶店等々。
一日10枚のノルマを決めた。日記をつけて、サボると、成果なしと書いた。それが続くと、自己嫌悪に陥り、突然、夜、飛び出して、少しでもスケッチすると、ゆっくり眠れた。
ある日、朝8時頃、寝ている所を、母親に起こされた。その頃、夜更かし朝寝坊である。眠くてしょうがない。階下に来いと言う。下に降りていくと、テレビの前に映周先生が、座っていて、テレビを写せと言う。中国の映画をやっていた。構図がいいので、スケッチブックを六つに区切り、写った場面を全部描けと言われた。
起きて5分後である。目が覚めない。描け描けとせかされ、それから、忙しかった。
上野公園でもスケッチした。芸大の学生らしき一団が、西郷さんに向かう広い道を歩いてきた。私は反対側の植え込みに立ち、向こうの木々を描いていた。その一団の中で下駄を履いていた学生が、カツカツと、音を立てながら私の方へ走って来た。
当時、私も一丁前に、ヒゲをはやし絵描き然としている、10代後半。
その学生は、私のスケッチを、ちらっとを覗きこんで、また、仲間の方へ戻って行った。
恥ずかしかった。もっと上手くなりたいと、痛切に願った。
家に帰って、そのことを、師匠に告げると、笑われた。師匠の後輩の無礼を責めた。
師匠はこう言った。「外で、絵を描く時は、胸を張って描け。絵がヘタだから練習しているんだ。恥じることではない。」
今、生徒さんに同じ事を言っている。無理を承知で。
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