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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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アート徒然日記 ‘09/11/16(月) |
<生徒さん色々、「Oさん」>
11月になったばかりの頃、我が大人教室にいるO(ゼロに見えるので、アルフアベットのオー)さんが、教室にやって来た。 木曜日教室の夜である。Oさんは、我が教室の公認としている上級者である。 お年は、70歳半ばの女性で、絵のキャリアは、私に継ぐ30年を超えるもので、水彩・デッサン・油絵・パステル・抽象画と幅広い。 そのいずれも技術的にこなしているので、上級者ということになる。おそらく、技術的にはウチの教室では誰も適わないだろうと思われる。
Oさんは、私より数段、年が上であり、数人の先生に付いて学んだらしい。その先生方達と死に分かれたりして、今は、我が教室に籍を置いて2年以上が経つ。
今、Oさんは、一ケ月に一回くらい来て、絵を見てくれと言う。その度に月謝を払い、F6号からF8号くらいのサイズの絵を3点から4点くらい持って来て、私の批評を仰いでいる。大変熱心な方で、絵は相変わらず上手い。
Oさんが絵を描き出したいわれは、確かではないが、本職は刺繍の先生であり、刺繍の下絵として絵を描き出したようなことは、言っていた。
Oさんが教室に入会して4ケ月くらいして、大人コースの教室展があった。このレベルの方なので、教室展出品に際しては、作品をたくさん出すように、本人にお願いした。いままで描いた作品が多くあるとのことなので。
他の生徒さんへの良い刺激になると思ったが、案の定、6~7点出品してくれた。教室展としては、出品点数は多い方であるが、誰からもクレームはつかない。 上手い人に文句は誰も言わない。そういうものである。
しかし、Oさんが出品した作品を見て、「これはいかん!」と私は思った。意外だった。Oさんの出品作品を全部見て、私の過ちを悟った。
Oさんの作品は、どれもしっかり描き過ぎていて、デッサンが出来すぎているというか、ガチガチで、見るに耐えないのである。つまり、上手く描き過ぎている。
「この手か!」と思った。
「絵とは、何ぞや?」ということについては、何度も言ってきたが、絵とはメッセージである。自己満足の結果であってはいけない。 人に何かを伝える純粋な伝達手段が、「絵」ということになるので、Oさんの作品は、絵としてみたら、最低ということになる。なぜなら、技術的な慢心が表に出て来て、伝達要素は、ゼロに近い。
世間では、このことをよく勘違いするが、技術が表に出てきたら、オシマイなのである。こと絵の世界では、そういうことになる。絵に限らず、表現を伝達手段としたものは、何でもそうなのではないだろうか。
技術は、「表舞台を見ず」
一般的には、技術崇拝があるため、技術が表に出てきてはいけない理由が、理解されづらい。
このことお分かりだろうか?
でもそうであるが、自己満足は、他の人に何の関係もない。技術を誇るのは、本人だけの満足であり、人にそれを見せるということは、犯罪行為に近い。少なくとも絵の世界ではそういうことになる。 美術をチャンと学んだ人の、常識である。
さて、ちょうどその頃、私はブログに、デッサンのことを書いていた。デッサンをしていて陥りやすいワナにも触れていて、Oさんの絵が、正にピッタリ当てはまった。
なぜ、いままで誰も注意しなかったのか、私には分からない。Oさんが習った先生方は、Oさんを刺繍の先生としてしか、見ていなかったのかもしれない。当然Oさんも今より若い分、刺繍ということをもっと、全面に押し出して、そのために絵を描いているのだと、言っていたのかもしれない。それでは、他の先生も面倒がって、何も言わない。おそらくそんなところだろう。
他の先生のツケを、私が払う嫌な役目が、回って来た。
教室展後、Oさんに、そのことを告げた。絵がガチガチだと。 御年70歳半ばの人に、それだけのショックを言っていいものか迷ったが、今後こんな絵を毎回見せられて、黙って見逃せるほど、私は、人間が大きくない。ハッキリ言うことにした。
やはり、Oさんにはショックだったらしい。後日そんなことを言っていた。やはり、それなりに自分は、上手いと思っていたらしく、初めて言われたらしい。典型的なアマチュアの考え方である。 困ったもんである。私が、ツケを払ってしまった。
その後、Oさんはというと、逞しい人である。私の言ったことを乗り越えて、ガチガチにならないように意識し出してくれた。 私に感謝すらしているようである。さすがに、何かを極めた人である、自分の過ちを修正するだけのパワーを持っていた。それでこそ、絵を愛する仲間である。 私も、妙な後悔をせずに済んだ。
先日、11月になったばかりの頃、Oさんが帰りがけにこんなことを言っていた。 「これほど、ちゃんと描ける人が、どうしてこんな詰まらない絵を描くのかと、先生に言われた」
「それって、私が言ったの?」 と、思わずOさんに尋ねてしまった。忘れている。
本当にそう言ったのであれば、言いたい放題である。私も、気は使っているつもりであるが、思ったことは、言ったようだ。 失礼。
今でもOさんは、頑張って絵を描いていることだろう。しかし、その姿勢こそがアートなのである。
アートとは、自己研磨である。修正し訂正し前に進む。そう出来る人間が、アートの世界に身を置くことを許されている。
そういうこと。
田屋のアート講義は、‘09/4/23(木)を以って終了しました。
「研究所レベル」・「大人コース(中・上級)レベル」・「大人コース(初級)レベル」・「キッズコース」・「高齢者のための絵画指導」の五講義(各60テーマ)は、左欄のカテゴリーで、閲覧出来ます。
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