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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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アート徒然日記 ‘09/10/01(木) |
<ホームレス>
1988年冬、私は、新宿の西口の地下道を歩いていた。
今の都庁方面に続く地下道である。当時は、その地下道には、ホームレスの人々が沢山おり、てんでに、ダンボールで作った家で暮らしていた。
通行の左側には、壁に沿って、そういった家々がズラリと並んでいたものである。有名な場所でもあった。 中には、炊事場と寝室を分けて作ったものもあり、ミニチュアの家を思わせる。天井がない家は、歩きながら、上から間取りを見ることが出来た。 ほとんど、展示品といった感じで、通行の良い退屈しのぎになる。
その時ふと、思った。この人たちと自分とは、どう違うのであろうか?
なぜか、そんなことを考えた。そう思ってから、ゾッとした。
その頃の私は、出版関係の絵を描いて収入を得ていた。いわば、根無し草的な生活をしていたのである。自分では、そういう自由な生活に満足していたので、なんの、疑問もなく、むしろ、自慢さえ覚えた。サラリーマン生活に逆行していることに、誇りさえ感じた。
サラリーマン生活に反発を感じる年代として10代、20代を過ごしたので、30代でもそうある自分に疑問は湧かない。
それが、いきなりそんな自分にゾッとしたのである。生活が不確定要素だらけということではない。そんなことは、はじめから分かってやっている。 私が、ゾッとしたのは、私がプロとしての腕が、もし十分でないとしたら、この人たちと、どれほどの違いがあるのだろうかと、感じてしまったことにあった。
当時、私はすでに結婚しており、結婚に伴う将来的な計画も持たないとならない立場にあった。独身時代と違い、根無し草とは言え、そうそう無茶は出来ない状況であった。それなりに慎ましやかではあったが、将来計画は、女房の手前必要であった。
だから、ホームレスの人々を、他人事のように眺めることが出来たはずである。ホームレスとそうでない人との違いは、将来に対する計画性の違いであろう。
人間として生きるということは、ただ生きるのではなく、社会の一員として生きることであり、社会とは、社会的な生き方を強制する場である。そして、社会的な生き方とは、誰にも迷惑を掛けずに、生き抜くことであり、そのためには、将来的計画性は、必須である。
良くも悪くも、社会とはそういうものである。
その社会に反発しようが、抵抗しようが、ホームレスのように生きる目的を失っては、意味を持たない。極論であるが、世の中に存在価値を認められない生き方は、意味を持たない。 それが、人間社会の掟である。それをはみ出すと、アウトローと呼ばれ、一部サラリーマンの憧れの対象になったこともあるが、アウトローの意味することは明白で、簡単に言うと、逃避である。
逃避は、いつの時代でも、弁明の余地はない。
アーテイストをアウトロー扱いする人がいるが、それは単なる勘違いで、ただ、一般的でないということが、主な理由であるようだ。一般的な生き方以外を、アウトローと言うのではない。 社会は、一般的なことと、一般的でないことで構成されている。問題は、どう人間社会生活に貢献しているかであり、人間社会に貢献しないものを、アウトローと呼ぶ。
一般社会から理解されなくとも、意味を持った生き方はある。
アートの世界は、一般的には分かりづらい。今も昔も誤解は絶えない。 人々は、分からないものを、芸術と呼び、分からない人を芸術家と呼ぶ傾向がある。確かに、アートは分かりづらいし、そういう風に考えるのも分からないでもない。 なぜなら、一般的に分からないだけに、おのずから、そこに問題も発生するからである。極めて個人的であるがために、その貢献度は、分かりづらい。ほとんど個人的な考えで、出来上がっているのがアートの世界である。だから、本人が、一人前のアーテイストだと思っていると、そのままということが、多い。
アートの世界にもそれなりの評価基準はある。未熟な者はすぐ分かる。しかし、展覧会に落選した者が、「俺の絵を理解しない」という無茶も同時に言えるのである。 誰も注意しない。自分の未熟に気が付くのも才能のウチだからである。 全てが、個人の判断、考え方に任せられている。
だから、そういった特殊な世界に身を置く人間が、一人前のアーテイストでなかったとしたら、話はややっこしくなるのである。社会的なことに背を向け、ホームレスでもなく、それでいてアーテイストとして半人前だとしたら、話の筋は通らない。 アウトローではないと、断言できなくなってしまうのである。
私は、そのことを、ふと思ったのである。
1988年の12月。私は、新宿の地下道を歩いていて、そんなことを考えた。 それは、身の毛もよだつ恐怖であった。
それまでは、結構頑張って絵を描いているつもりであったが、真剣に絵を描き出したのは、それがキッカケであった。
田屋のアート講義は、‘09/4/23(木)を以って終了しました。
「研究所レベル」・「大人コース(中・上級)レベル」・「大人コース(初級)レベル」・「キッズコース」・「高齢者のための絵画指導」の五講義(各60テーマ)は、左欄のカテゴリーで、閲覧出来ます。
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