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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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悪口三昧 <エピソード> ‘09/4/4(土) |
かの作家、故三島由紀夫氏も言っている。 人の悪口ほど魅力的なものはないと。 氏ほど知能指数の高い御仁も、人の悪口には寛大である。 だから、言うわけでもないが、確かに精神衛生には良い。 それで、私も人の悪口には寛大である。
さすがに私も、紳士(?)であるので悪意のある悪口は、言わないことにしている。他愛のない精神衛生上の健康管理を目的としている。 健康管理は、やはり徹底すべき事柄であろう。そこで、悪口三昧という魅力的な健康維持に努める。
以前知っていた男が、「自分は人の悪口は言わない」と言った男がいた。 この類の聖人君子は苦手である。 そう言われた時に、私は気まずい沈黙をしたものである。こういうことを、面と向かって言われると、相当気まずい。 何か反省しなきゃいけないのかいと、自責の念を抱いてしまう。
その後、その立派な御仁が、意外と女々しいことを知るに至り、安心するよりも、案の定と思った。 そんな聖人君子に、そこらを歩かれては、堪らない。人間ならそれはないよな、と思った直感は当たっていた。
彼が、カッコづけで言っていたことを発見すると、以後その男を相手にしなかった。 人間は、出来ないことを、カッコつけて言ってはいけない。それは、見栄とも違う。 ウソの範疇に入る。
また、私は頭の悪い人間が嫌いである。それをカバーするに足る善良さがあるなら、それは、それで敬愛するが、単なる生意気馬鹿は、御免こうむりたい。 私のかっての絵の仲間にそういうのがいた。 私より大分年が下であったので、馬鹿さ加減に随分と我慢したが、結局付き合いを断った。 いつも会った後は、言い知れぬ嫌な気持ちになった。 それでは、付き合えるもんではない。
また、こういう男もいた。私の学生時代の友人で、同じ学年であるが、彼は年が一つ上であった。 そのせいか、何かにつけて私を子供扱いした。それが問題ではなかった。確かに学生時代の私は純粋さゆえか、幼稚なところがあった。 問題は、彼が兄貴面して私に語ったことである。
彼の狭い北向の三畳の下宿に何度か遊びに行った。 彼は、その薄暗い劣悪な環境の中で、陰気な話をするのが得意であった。北向の唯一の窓を開けると、手の届くところに隣の家の壁があった。日は当たらない。陰気な考え方をするには、申し分ない。
確か、私が19才、彼は21才。
彼は、そこで教師を目指して勉強していた。父親が小学校だったか、中学校だったかの教師であった。 彼の陰気な話の中に、女の子の話が登場する。高校の同級でプライドの高い女の子だそうだ。 彼もプライドが高い。それで、アプローチに苦慮していた。 また、彼は自分のことを称して、俺はスルメのように噛めば噛むほど味が出るとも言った。これが21才ぐらいの若者の話である。 当時でも私は苦笑した。
一度家に招いたところ、わが両親の彼への評判は、芳しくなかった。 彼は、プライドの高さを誇るように、わが両親に一瞥しただけであった。
その後、何となく疎遠になった。
今思うに、その当時の彼は、オジン臭いことこの上ない。今の私より老成しているような気さえする。それに、プライドの高い男が、プライドの高い女を口説くのに、方法は一つしかない。自分の埒も無いプライドをかなぐり捨てて、突進するしかない。
遠目で、自分が傷つかないように、女性をくどく方法などありはしない。相手にとっても、そんな意気地のない男に用はないであろう。 私の両親に対する態度もそうである。少なくとも、私の両親は、彼が張り合う相手ではない。当然、プライドで、武装しなければならない相手でもない。 普通に挨拶すれば済むことである。劣等感の裏返しと取られても仕方あるまい。若いというより、幼稚である。 若い時にこれほど、気の利かない、退屈な男が、今、教師をしていることだろう。 彼は、若い時にすでに老成し、元気を失っていた。スルメの例えは、考え方が乾燥しているところが、似ている 彼が、噛めば噛むほど味があると言ったのは、単なる自己愛である。そんなもの誰にでもあって、人に言うことではない。
こんな彼が、一体若者に何を教えるのだろうか?
この前、ふと思い出し、そんなことを考えた。私の付き合った友人の中で、一番地味で、傲慢で、退屈な男であった。私が、付き合いを止めたのも、それが理由であった。
若い時に、間違ったことを言うこともある。間違った態度をとることもある。 しかし、十分大人になった今、懐かしい思い出となる友人と、そうでない友人とがいる。
今の私には、そうでない友人たちが使った詭弁が、よく分かる。それは、若さの為せるワザではない。人間的な問題である。 それは、本人の責任であるし、私の軽蔑の対象として、悪口三昧の種となる。
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