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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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絵と言うものをどう考えるか? <大人コース 中・上級レベル> ‘09/4/2(木) |
中・上級レベルともなれば、たまには、絵と言うものを考えてみようと言うのが、今回の話である。
皆さんに、絵をどのように考えているか、質問したらどう答えるだろうか。 おそらく、返事に困るのではないか。
「どうって? ただ、面白いから描いている」とか、「好きだから」または、「老後の楽しみとして始めたので、難しいことは考えてない」とか、そんな返事が返って来そうである。
難しい話をするつもりもないが、ちょっと絵を脇の方から、見てみようというだけである。すると何が分かるか?
皆さんが、絵を描くには当然、理由がある。趣味で描くわけなので、「楽しい」ということが、一番の理由になると思う。 すると、「楽しくない」ことになると、どうなるか? 楽しくないなら、続ける意味がなくなるのか?
今回の話の本題は、これである。 楽しくないなら、続ける意味がなくなるのであれば、一つの趣味で、長く続けていくことは難しくなる。 なぜなら、趣味にも壁があり、スランプがあるからである。
これは、当然のことなので、そのことはお分かりであろう。そういうもんだと、理屈では、分かっているが、いざ体験してみると、マイッてしまう人が多い。 壁やスランプのために、辞めていった人は、何人もいる。決まって、「才能がないから」と言う。
辞めていく人間に何を言っても、仕方ないので、「才能がないから」と言っても、私は黙っているが、趣味の世界に器用・不器用はあっても、才能は関係ない。 器用・不器用とは、適性を意味する。趣味をするにあたって、適性は必要であろう。 しかし、才能とは、絵の世界の現状を打開し、新しい傾向や方法を生み出す能力のことを意味するので、趣味で絵を描く人には、関係がない。プロの世界の話である。
では、辞めていく人間が不器用を、才能がないと表現しただけか、と言えばそれも違う。 壁やスランプになるためには、十年ぐらいは続けてないとならない。十年続く人間が不器用であるはずがない。 つまり、考え方の問題である。「才能がないから」と言うのは、単なる言い訳で、壁やスランプに出遭った時に、どう考えるかである。 言い換えると、趣味の絵をどう考えるか、という問題である。
趣味というものを、どう考えるか。考え方一つで、趣味が意味を持つか、無意味になるか、分かれ道になる。
これは、以前にも「壁に当たったら」で述べたことであるが、趣味にも一つの道がある。 趣味道である。「道」であるので、他の茶道、華道、柔道、剣道と同じように日本的な考えの「道」という、険しさを暗示した趣味の考え方である。
さしずめ、絵の場合、絵道と語呂の悪い言い方をしてみよう。絵画道とすると、芸術的なニュアンスが含まれてしまうので、趣味の世界で、絵画道は、適当ではない。
さて、この絵道と考えるか、単純に趣味のお絵描きと考えるかによって、粘りが違ってくる。
問題は、ここにある。
趣味のお絵描きとして、絵を始めることに、もちろん反対はしない。誰にでも初めはあるし、動機は、重要ではない。 重要なのは、十年選手が未だ、趣味のお絵描き感覚では不味かろうと、言いたいのである
「絵と言うものをどう考えるか?」
その答えは、絵道と考えよ。
そう言うこと。
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