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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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何かを待つ気持ち、何かをしようとする気持ち <大人コース(初級)レベル> ‘09/3/12(木) |
今回は、初心者レベルの人に、絵を描く行為について、ちょっとだけ難しい話をしてみよう。 何かを待つ気持ちと、何かをしようとする気持ちである。 棚からボタモチと言う、コトワザがある。ヒガナ何もしないで、ゴロゴロと寝ている者が、フト見上げたら棚があり、そこからボタモチが落ちてきたという、不精この上ない話である。 何もしないで手に入ることを、縮めて「棚ボタ」とも言う。
何かを待つ気持ちは、この棚ボタ状態になりやすい。とても消極的な態度である。 何かを待っていても何も起こりはしない。そう言える。 明日は今日の続きとして、繰返されるだけである。人生において、「棚ボタ」はないと言っていい。 もし、あったとしても宝クジに当たるぐらいの確立であろう。
だから、何かを待ってはいけない。何かを待つのではなく、こちらから迎えに行くのである。何かに向かって迎えにいけば、見付らない時に、次の方針も自然と決まるものである。
絵を描くということは、消極的な行動ではない。何かを掴もうとする行為であり、何かを迎えに行く行動である。 その行動の中に、自分への探索もあれば、可能性の追求もあれば、技術の習得もある。 様々な動機や目的を持って、人は絵を描くのである。 例え、初めは暇つぶしでも、描き進む内に嫌でも目的は、発生する。
そして、そこから得られる経験は、そのまま自分の糧となり、体内に蓄積される。 体内に蓄積された栄養素は、すぐには役立たない。何かの時のために溜め込まれるので、本人は気が付きにくく、有り難味もない。
だから、途中で絵を描くのは止めたと、放り出し他のことに移ると、蓄積された栄養素は、永久に出番を失うことにもなるかもしれない。 胸に手を当てて考えてみて欲しい。今までにそうやって、放り出したものがあるか。 大抵の人は、あれこれやって来たのではないか。 何か蓄積があるのではないだろうか。
人生において一番の無駄は、何もしないで時間が流れるのにまかせることと、アレコレ手を出し、全てを途中で止めることである。 このぐらい、時間の無駄はない。
人は、何かを学習しながら成長していく。若い時だけではない。いくつになっても同じである。 経験から学習したことが糧なり、栄養素となって、蓄積される。蓄積された栄養素がいつの日か身になり、自分を高め、見識を広げ、自分を楽しませてくれる。そして、また経験し、学習して成長していくのである。
人生は、考え方一つである。詰まらないと思ったら、詰まらないのである。この世に生を受けて、詰まらないと思って過ごす人生こそが、詰まらないし、時間の無駄である。
選ぶものは、何でもいい。続けることに意味がある。人生の秘密の扉は、継続した者にしか開かない。
もし、絵を選んだなら、続けましょう。途中休んだっていい。仕事の事情、家庭の事情とあるだろうし、お休みは何の問題もない。人生の長さから比べたら、どうということはない。
また、続けられるようになったら、続ければいい。 何かを待つとしたら、続けながら待つことである。続けながら待てば、必ず何かがやって来る。その方が、「棚ボタ」より数段効率がいい。
そうやって、続けながら何かを待つ気持ちこそが、何かをしようとする気持ちというわけである。 分かったかな?
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