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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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ちょっと芸術論 <エピソード> ‘09/2/7(土) |
私の大学時代、友達がこんなことを言った。
「一番芸術性があるのが文学で、二番目が絵画、三番目が音楽だ」 何を馬鹿なことを言うのだと、思ったものである。
当然議論となった。この順番が、彼の好みの順番と言うのが論点である。親しんでいるものの単なる順番で、芸術を語るなというのが、私の言い分。 馬鹿な男ではない。むしろ、頭は良い方である。
それで、しばらくは内緒で、彼の言った順番について考えた。どうしてそう考えたのか? 文学・絵画・音楽の芸術性の格付けを出来るものではない。友達は、自論の正当性を主張したが、どんなことを言ったのかは、覚えてない。こちらも興奮していてほとんど聞いていなかったのかも知れない。 友達も若かったのである。せいぜい20才そこそこ。無茶を言っても仕方ない。今思うと相当無茶な断定である。
例えば、フランス料理と中華料理と日本料理の格付けが出来るかである。 好みは言える。しかし、その料理としての存在価値に順番を付けられるか?
フランス料理も中華料理も日本料理も、その存在価値においては同格で、またその洗練度においても同格と考えるべきであろう。 その優劣を決めるのではなく、それぞれのオリジナリテイーを楽しめばいいのである。
それが、文化というものであろう。
文学・絵画・音楽も、独自の発展を遂げ、今日に至っている。それぞれが持つ特徴は、お互いに刺戟し合って、ともにお互いが、インスピレーションの源となって、係わって来た。 そこに、優劣は存在しない。お互いがお互いのためにあると、言っても過言ではない。
芸術はそもそも単独進化出来ないようになっている。文学だけが、他の芸術と無縁に発展進化することは出来ない。それは、何万、何十万の芸術家たちのクロスオーバーが生み出した結晶であるからである。
文学者は辞書とペンと紙だけで、文学を生み出せない。画家しかり、音楽家しかり。 頭の中から、ポンとアイデアがいきなり出てくるほど芸術は、単純ではない。
芸術は、単純から生まれない。混沌が芸術を生む。混乱した複雑な感情が混沌を生み、混沌が飽和して芸術的要因が出来る。
その芸術的要因に、他からの複雑な因子が絡み、より複雑化していく。そして、他のジャンルからの影響が降り注ぎ、影響され、変化し、その中から発想して、一つの形が生まれる。それに、次世代の人間が影響を受け、進化させ、クロスオーバーし、また何か違うものを生み出す。
それに、他のジャンルが影響され、発想し、その感覚が飛び火して、またさらに他のジャンルが変化していく。
芸術とは、進化し、変化し、洗練され、発展していくものである。常に同じ場所に留まらない。様々なものを含有しながら、人々の夢の方向へと流れていく。
その夢の行き着く先は、あまりにも遠くて見えない。ひたすら、夢に埋没するのか、繰り返すのか、破滅するのか誰にも分からない。
ただ、芸術は、あらゆる芸術家たちの夢と情熱を抱え込みながら、熱い火の玉となって、転がって行くだけである。
その先が闇でも、ひるむものではない。ただ、自らの衝動の中に全てがあり、理想が衝動を先導する。 絶え間なく湧き出る魂。 絶え間なく突き進む情熱。有意義も無意儀も全てを包括して、前進する無限のエネルギー。
それが、芸術。
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