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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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弱い形、強い形 <研究所レベル> ‘09/2/3(火) |
このこと、お分かりだろうか。 ある展覧会で、抽象画を見ている時に、この「弱い形、強い形」のことが頭に浮かんだ。 私が見た抽象は、形が弱かった。そして、観念的な線で覆われていた。
もっと、ハッキリ言うと、絵になっていない。なんで、そんなものが展示されているのか、頭を捻るが、まあ、それは大きなお世話になるので、これ以上言っても仕方ない。
ということで、本題に入るが、抽象画も絵である。どれほど、メチャクチャに描いても、絵の世界では良いことになっている。自由に好きに描けばいい。自由さにおいては制約はない。
ただ、絵になってないと困る。絵になってないと分かりづらい。 今までに何度も言ってきたことであるが、絵はメッセージであると。絵は誰かのために結果的に描いていることになる。 そう言うと、どこかのヘソ曲がりが、「いや、絵は自分のために描いている」と言いそうだが、そういう話をしているのではない。
自分のために絵を描くのは、絵を描く動機・理由の話である。それなら、みんな自分のために描いている。しかし、表現方法とか、技術・技法、または効果ということになったら、第三者の存在を意識していないと、おかしい。
完全に自分のためだけに描くのなら、誰にも分からなくてもいいわけだから、意味不明な記号で良いし、技術も不要である。
絵は、あくまで結果的に、自分以外の誰かのために描く。
その誰かに、自分のメッセージ、例えば形とか色とか不雰囲気とか、迫力とか、情熱とか、人様々伝えたいことは、千差万別だろう。描いたものは、誰かと共有したいと思い、よりメッセージが伝わるように、構図を考え、色を考え、効果を考える。
そのメッセージを伝えるために、構図や、色や、効果をパッケージにするわけである。メッセージを、より伝わりやすいパッケージでくるむ作業が、いわゆる絵を描くという作業である。お分かりだろうか。 そして、そのパッケージを、「絵」と言う。
絵になってないということは、くるんだパッケージが貧弱であるという意味になる。
パッケージが、貧弱では伝わるものも、伝わらない。そういうことである。 形が弱いとか、観念的な線は、そもそも伝わりにくいのである。形が弱いから伝わらないし、リアリテイーが欠如した状態が観念的なので、もちろん、伝わりづらい。
だから、制作者は伝わりやすいものを、身に付けないとならない。弱い形ではなく、強い形、観念ではなく事実。
私が、展覧会場で見た絵は、パッケージの作り方も知らない人物であろう。未熟と言うより、悪いが無知と言ったほうが、早い。
さて、折角なので弱い形と強い形の説明をしたいが、これも中々難しい。一概には言えないが、鋭角より鈍角の方が強いという考え方がある。そういったことである。
鋭角だと弱いのでたくさん描く必要があるとか、鈍角だと強いので、一つや二つで間に合うとか、そんなことだと、思ってもらいたい。
私も、わが師匠からそのぐらいしか聞いてない。あとは、自分で考えた。だから、それをヒントに何が強いか、何が弱いか、課題として考えてほしい。
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