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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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絵画教室に宿題は、なぜないか? <キッズコース> ‘09/1/15(木) |
絵画教室に宿題はない。はずである。私の知る限りではない。 では、なぜないか?
絵を習いたくても、近くに教室がなく、仕方なく通信教育に頼る子供もいるかもしれない。そういう場合は、宿題があっても仕方ないであろう。 しかし、通常、教室にて授業を受ける子にとっては、宿題はない。
理由は簡単である。子供教室で、絵を習うこととは、皆と一緒の作業という意味がある。皆と一緒に作業し、騒ぎ、その中で学んでいく。
また、宿題を出して、やってこない子をどう扱えばいいか、難しい問題もある。 宿題は、必要があるから出すのであるが、では、やってこない子に、バツを与えるとか、その日は居残りさせるとか、やってみたところで何になるであろう。
少なくとも、子供の絵の教室のすることではない。
このような話をするのにも、訳がある。 見学に来た親御さんに、宿題はありますかと、聞かれたことがある。この時、私は結構驚いたのである。「いいえ、ありませんよ」とだけ、答えた。
また、ある時には、教室に通う小学3年生の女の子が、「この教室は、宿題がないから、いいよね」と言っていた。
なぜ、絵の教室に宿題がないか、一度も説明したことがないので、ここで説明しているのである。 出来れば皆と作業することが望ましいのは、言うまでもない。
教育とは本来、人と自分を比較することで、成り立っている。先生と自分、A君と自分、Bちゃんと自分と言うように、その比較が成長を促していることに、異論はないであろう。
絵の教育の場合、その比較は作業中に行われる。塾の勉強のような、暗記するとか、理解するとかではなく、もっと淡く、すぐ消えてしまうような感覚的なものである。 そして、その感覚的な比較を繰り返すことによって、成長していくと考えれば良いと思う。
皆と一緒に、描いている時、工作している時こそが、重要なのである。一見、無駄話をしながら絵を描いていることがあるが、そういった無駄話が、アイデアを引っ張り出す引き金になることは、よくある話である。 制作は、予定出来ないものである。子供たちの絵も同じ。 白紙を埋める作業を、始めから予定しても、変更に次ぐ変更になっていくことは、容易に想像できよう。 そして、その変更は、他の者によってなされることは、よくある。つまり、隣の子が、「そこは赤く塗ったら」と言ったために、「あー、そうだね」と言って、変更する。隣の子が、アイデアをくれたのである。
または逆に、「どうして、そこの所、塗らないの?」と聞くと、「いいのいいの、ここは塗らないの」と答える。「エッ!どうして?」と聞き返すと、「どうしても」と答える。 自己主張である。思うことがあって、塗り残す。
そうやって、時には人と和し、時には自己表現する。 これらを、一つのテーブルを囲んだ中で、お互いに共鳴しながら刺激し合う。
もう、お分かりだろう。ここに、宿題の必要性はないのである。 本当は、見学に来て宿題のことを質問した、その親御さんに、説明してあげれば良いのであろうが、中々、限られた時間内では、それも難しい。 ましてや、子供たちに宿題のない理由を説明してもしょうがない。
というわけで、子供の絵の教室では、宿題はありません。
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