<さて、発想するにはどうしたらいいか?> 二つあって、一つは自然に出るのを待つ。二つ目は、出るのを促す。この二つ目が発想法になります。
発想はひらめきであり、ひらめきは所かまわずなので、出るときは出る。出ない時は出ない。このように考えるのが、一つ目である。実も蓋もないが、絵のことを、まめに頭の片隅に置いとけば、結構、浮かぶものである。他に仕事を持つ人が、ほとんどだろうから、頭の片隅に、ひそかに持ち続けることが、この場合の要領になる。
二つ目は、出るのを促す。これは、出やすい状況を作るということ。唯一の発想法といえる。絵の作業を、連続して行っている時にひらめきやすい。ひらめきをアイデアに置き換えると、分かりやすいと思うが、例えば、一枚の絵を完成させるには、何十何百ものアイデアを必要とする。(ただし、ここから先は、△もアイデアとカウントする。なぜなら、△が微妙にからんで×を生み出すことが、多分にあるためである)制作開始当初の骨組みとなる、大きなアイデアだけでは、絵は完成しない。
実に細かいアイデアから、大まかなものまで、アイデアだらけが絵というものである。前述の言い方をすれば、画面は○△×の大量な寄せ集めになっていることになる。
それだけの量を無意識のうちに出している。描いたものから、ひらめき、また、描き続けて、ひらめき、小さいジャンプ、大きいジャンプを繰り返しながら、描き進んでいるのである。連続した作業が、次々とアイデアを生み出しているのに、本人は意外と気が付かない。
ひらめきというと、もっと、ものすごいことのように思ってしまう。ひらめきに大小はあるが、小も、りっぱなひらめきなのである。(つづく)
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