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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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北京飯店 <エピソード> ‘08/11/1(土) |
東京駅の八重洲に北京飯店という、中華料理店があった。
高級店ではなく、巷レベルの店であるが、私が学生時代そして卒業して二年間ここでアルバイトをしていた。
出前が仕事である。料理人ではない。 私は、アルバイトの経験回数は自慢出来るほど多い。40以上である。その中で、印象に残っているアルバイトの一つが、「北京飯店」である。
なぜ、印象に残っているかといえば、色々あるが、二年以上在籍したのは、「北京飯店」だけである。大体長くても一年ぐらいが多い。
従業員は料理人が4人、経理・注文の電話応対が1人の5人であった。あとは、出前のアルバイトが6~7人である。
小さな店であったが、10人以上の人間を抱えているのは、ちょっとした大店レベルである。 実は、この店は、出前でもっていた。
当時、東京駅の八重洲には、大小さまざまな麻雀屋さんが、ひしめき合っていた。サラリーマンが仕事を終える午後5時過ぎ、ポツポツと雀荘に現れる。 6時過ぎには、「北京飯店」の電話が、間断なく鳴り始める。麻雀を打ちながら、食事をするのである。
「北京飯店」から雀荘に大量な食事が届けられる。勝負は2時間。8時を過ぎるとパタッと注文が減る。9時には終了している。 毎回このパターンである。これは食事をするサラリーマンの行動パターンである。 分かりやすい。
アルバイトは時給であったが、午後5時から10時までの時給が支払われた。5時から6時までは、ほとんど待機で、9時以降は食事の時間であった。 つまり、正味の労働時間は、5時間の内の3時間程度であった。その上、時給が普通より高かった。
この店は、実際、アルバイトの出前でもっていた。 だから、優遇されていたのであろう。 食べ物屋さんの良いところは、食事が出ることであった。5時間作業なので、作業が終わった9時過ぎに、一回食事が出るが、慣れてくると、待機時間の5時~6時までの間にラーメンが食べられた。
私が、24・5才の頃、当時、桜美林大学の学生で、アルバイトの大野君がラーメン担当であった。5時前に私が調理場に入ると、いつも、大盛りラーメン(麺が二玉入り)が、出来上がっていた。彼が気を利かすのである。
店が2階にあり、階段を上り詰めた所の隣が、調理場だったため、私が階段を登る音が調理場に聞こえるらしい。 「田屋さん出来ているよ」と、いつも悪戯っぽくそう言った。
そんなこんなで、居心地が良かったのである。
さて、世の中に毎日食べても、飽きないラーメンがある。そのことを、この北京飯店で知った。私は、二年間、日曜日の定休日以外、毎日このラーメンを食べていたが、一度も飽きたことがない。不思議だ。おいしいラーメンの定義ってなんだろうと思う。
北京飯店のラーメンは、とりわけ旨いと言う訳ではなかった。しかし、しっかりとダシを取ったスープは毎日でも飽きない。 世の中に美味しいラーメンは、沢山ある。でも、毎日食べて飽きないラーメンは、どのくらいあるだろうか? 北京飯店はすでに、その場所にない。あれほどあった雀荘も見当たらない。
昔、この場所でラーメンを毎日食べていたという記憶だけがある。 数年前、この場所を再び訪れて、そんなことを考えた。
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