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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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昔、喫茶店が大好きだった <エピソード> ‘08/10/25(土) |
私は、大学時代、そして卒業してしばらく喫茶店が大好きだった。
私の若い頃は、今のような安くコーヒを提供する「ドトー・・・」なんとかのような、お店はまだなく、コーヒーは結構な値段であった。だから、コーヒ代はバカにならない。
ラーメン一杯の値段と同じなのがコーヒー代であった。 それでも、一日一回は喫茶店に入らないと、調子が出なかった。 可笑しなものである。40代になって、喫茶店に入らなくなってからは、なぜそんなに喫茶店が好きだったのか、分からなくなった。
当然、今はほとんど利用しない。ラーメン一杯分の値段は、おおむね今も同じで、500円はする。500円のコーヒー代は今でも払う気がしない。利用するにはよほどの理由が要る。
あの頃、何が私を引き付けたのだろうか?
思い出すに、喫茶店には私の想像力を刺激する何かがあったように思う。若い頃から絵を描いていたので、発想の手助けになることは有り難かった。 ほとんど一人で入った。学生時代は半分は友達と一緒だったが、卒業してからは、一人であった。一人であれこれと想像を巡らすのが好きであった。
いつも、スケッチブックを手放さなかった。スケッチをしたり、アイデアを考えたりして、喫茶店の中での作業は、制作の手始め的役割が合った。 そして、描くことが決まると、ねぐらに帰って描くのである。
今では、アイデアを考えるのに、500円も出さない。ラーメンを食べるのは、惜しいとは思わないが、アイデアを考えるための500円は惜しい。 変われば変わるものである。
学生時代、夜に決まってバイクで出掛ける私に、母親は、コーヒーなら家で飲めば良いのにと言っていたことを、今でも覚えている。 その時の私の答えが、「喫茶店でコーヒーを飲むことに意味がある」と言ったものである。 母親は、不思議そうな顔をしたが、今の私は、その時の母親の年代である。 おそらく、そういう状況なら、母親と同じことを言いそうである。家で飲めば良い。喫茶店でお金を出して飲むなんて、勿体ない。
喫茶店に夢中だった頃、私はお酒を、今のように毎日飲まなかった。喫茶店代とタバコ代があれば、生きていけると思った。本気でそう思っていた時代が、私にもあった。
そんなことを思い出すにつれ、今の私は贅沢になったものである。何がないと生きていけないということが、数えると十は超えそうである。そんなに多いならワザワザ数えることもない。不自由をしないで生きたいという話になるだけである。 若い頃は、私の周りは簡素であり、質素であった。お金もなかったので、欲も少なくて済んだ。実際痩せていた。 今の私は、欲も体重並みに多い。年令を重ねるということは、欲も重ねるということであろうか。
私もダイエットして、喫茶店でゆっくりくつろぎ、一杯のコーヒーに喜びを見出せたら、きっと、世の中が違って見えるかもしれない。
そうなったら、楽しそうだ。
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