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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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こういう絵を描きたいとイメージする <大人コース 中・上級レベル> ‘08/10/21(火) |
中・上級レベルの者は、それぞれに描きたいイメージは持っていることだろう。それは、実はとても重要なことである。 この場合のイメージとは、制作全般に亘るイメージのことで、作品制作の個別のイメージのことではない。
さて、絵を長く描いていると、何度も泥沼にはまることがある。 そのことは、以前にも書いたが、この泥沼は、方向さえ失わせる。自分が立っている場所が分からなくなってくるばかりか、これから行く場所さえ分からなくなる怖い所である。
スランプという簡単な言葉では、片付けられない。スランプとは、運動生理学で言う「過度の練習による興味の喪失」らしいが、絵の場合は、興味があっても起こる現象であるため、始末が悪い。
どうしてこうなるのか分からないが、一旦泥沼に落ちると、ひどい時は何年にも及ぶことがある。本人の絵に対する欲望の深さ分のしっぺ返しと考えると分かりやすい。 こういう時、描きたいイメージを強く持っているかが、分かれ道になることさえある。 イメージが導いてくれるのである。
制作は、完全な個人作業なので、常に自分との対話で成り立っている。自分の心が不健康になれば、そのまま幻聴・幻覚・錯覚のタネになる。もちろん例え話であるが、それほど制作は、自分を反映する。
そのために、羅針盤のようなものを必要とする。それがここで言う「イメージ」である。
また、制作中にも迷いが出るものである。作品制作が長引くと、大抵は碌なことにならない。長引けば長引くほど迷いも出易い。 長引いたための迷いかどうかは、中・上級レベルの者なら見当付くであろう。そのぐらいの経験はあると思う。
そんな時、少し制作から距離を置き、自分を客観的に見れる位置を取ることである。 これは、大事なことである。制作中は色々な混乱が待ち受けている。作者はその全てを受けてしまうので、冷静な判断は大事となる。
制作とは、詰まるところ作業である。作業は、冷静に進めないとならない。混乱したままを放置しないことである。
こういう、状況でもやはり必要なのは、大きな指針であるイメージということになる。
個別の単発のイメージはあるだろう。それは、一作品を仕上げるのに必要なイメージであるが、それだけで制作できるのは、ストレートに障害なく制作が進んだ場合であり、そのまま無事制作が終了すればメデタシだが、中々そうはいかないかもしれない。
本当に混乱してしまうこともある。今描いている絵が上手くいかない程度なら良いが、自分自身を疑いだすような、混乱もある。
そこまでいった場合の頼りは、やはり、制作全般に亘る元のイメージに立ち戻るしかない。原点のイメージである。 そのイメージを噛みしめ、冷静を取り戻すのである。
難しい話になってしまったが、このこと分かるだろうか? 指針たるイメージを持つこと、制作全般に亘るイメージを持つこと、もし、これを読んでも分からない時は、これからの課題として、時々思い出されたし。
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