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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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残酷な絵を描く子 <キッズコース> ‘08/10/15(水) |
残酷な絵を描く子は、絶えない。今も昔も。
不思議なことに、皆、女の子である。どうしてなのだろうか。男の子は、ヒンシュクを買うような絵は、シモ系になる。
男の子は、ウンチが大好きである。多分。 それほど、ちょっと悪びれた絵になると、すぐウンチを描き出す。皆がそうだとは言わないが、人の注目を集めたい時などは、特にウンチに走るようである。
これが、女の子になると、ウンチには走らない。そもそも女の子は、シモには走らないようである。 可笑しなぐらいハッキリしている。不思議である。
女の子でワザと悪びれた絵を描くと、これが不気味なほど、残酷ショーのオンパレードになるのは、偶然か?
もちろん、そのような絵は、私や、そばにいる他の女の子に対するアピールであり、悪ふざけに過ぎないし、それを以って残酷な子であると言う気はない。 ただ、子供の遊びの内ではあるが、悪ふざけの傾向は否定できない。
なぜ、ウンチではなく、残酷ショーなのか?
男の子と女の子の性癖なのか、それとももっと本質的な意味があるのか?
考えられるのは、まず、同年齢の男の子と女の子を例にとると、成長度が女の子の方が早いということであろう。 残酷ショーは、どこか人間の本質的なダーク面を突いているし、ウンチは、単純に幼児性の現れのような気がする。 女の子の方が、より人間的な気がする。 もちろん、女の子の残酷ショーは、悪ふざけであるが、悪ふざけに残酷ショーが頭に浮かぶか浮かばないかは、大きな違いがある。 どうして、ウンチが頭に浮かばないのか?
では、成長した男の子が、悪ふざけに残酷ショーになるか言えば、そうでもないだろうという話になる。これは、男性ならご記憶があると思うが、やはり男の子はシモの話から離れない。ウンチからより具体的なシモ系になるだけである。
女の子の皆が、残酷な絵を描くわけではない。一部である。 一部であるが、悪ふざけが残酷ショーになるという共通点はある。互いに知らない同士で曜日の違う子が、同じ傾向にあるのは、女の子の性癖を指すとしか考えようがない。
男の子はシモ系、女の子は残酷系を、その本質として、幼き頃より内に秘めている。
そんな気がするが、言い過ぎだろうか?
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