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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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二つの仕上げ方 <研究所レベル>‘08/10/3(金) |
さて、仕上げについて述べたが、引き続き、その仕上げには、二つの仕上げ方があるというのが、今回の話である。
まず一つが、個展仕上げ。もう一つが展覧会仕上げである。
違いは、足し算か引き算かである。
つまり、仕上げの時に、足し算するか引き算するかということである。分かりづらいことだと思うので説明しよう。
個展の場合、自分だけの絵の展示なので、競争相手がいない。皆、素直に自分の絵を見てくれる。細かくも見る。それで、細かいことをしても見てくれる状況がある。 これは、何を意味するかと言うと、絵の仕上げを、神経質に描いても、鑑賞者はそこの所を、ちゃんと汲んでくれる可能性があるという点である。
普通、絵は神経質に描かれる。仕上げも神経質である。それが普通である。そうでないと描き手も、ペースを崩しそうである。 イメージを確実に伝えがたいために、描き手は、仕上げの最後の最後まで、神経を配る。この感覚が、引き算を呼ぶと言って分かるだろうか?
一般的な仕上げは、引き算で終わる。つまり、最後の最後に作品を落ち着かせるために、画面上の何かを消すのである。消すことによって、画面の安定を図る。 ほとんどの場合、仕上げとは、引き算で終わると考えてよい。つまり、一つ取ったことによる、落ち着きで終わるのである。
ところが、これが通用しないことがある。
展覧会である。
展覧会では、自然に競争になる。自分の絵をアピールしないと、人は見てくれない。沢山の絵があり、沢山の傾向がある。個展会場ではじっくり見てくれた絵も、展覧会会場では、影が薄いなんてことは、日常茶飯事である。神経質な制作が一目を引くとは限らない。
まず、展覧会場は、天井も高く、面積も広い。それは、思わぬ計算違いを生む。 自宅での制作では、迫力があったものが、展覧会場ではものすごく大人しく見えることがある。こういうことは、結構ある。
特に、スペースの広い公立美術館や国立美術館では、当然の要領として、それようの作品を出品しないと、大人しくなってしまう。個展の絵をそのまま出品しても、まず目立たないだろう。
つまり、展覧会用の制作は、別にあり、当然仕上げも別になる。 ここで、足し算の仕上げという話になる。
足し算の仕上げは、これでもか、これでもか、の制作態度から生まれる。プラスしまたプラスする積極的な制作は、仕上げも最後の最後にプラスしたところで終わる。 飽和状態が溢れる瞬間まで足し算すると言えばお分かりか?そこまでしないと、会場では人にアピールしないと言って過言ではない。
良い絵を描けば良いという問題ではない。展示空間によってアピール度が違うのであれば、空間に合わせた制作をしないと、伝達効果がない。 伝達が絵の本分である以上、空間を意識した制作は当然である。したがって、仕上げ方が変わるのも当然であり、それが、足し算と言うわけである。 これが、展覧会仕上げ。
お分かりだろうか。二つの仕上げ方がある。それは伝達効果を考えると二つになるということである。研究所レベルは、プロ志望である。このことを忘れぬように。
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