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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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仕上げ <研究所レベル> ‘08/10/2(木) |
とうとう仕上げについて書くことにする。とうとうとは、仕上げは大変難しい。従って、説明も難しいのである。
仕上げは、制作技術の中に入る。考える作業という意味である。仕上げとは、簡単に言うと、画面の帳尻合わせと言って、ほとんど当たっている。 帳尻を合わせるだけなので、「描く」という作業より、「整理」になる。
この仕上げが、制作で一番難しく重要と考える人は、多い。しかし、ほとんどの絵の教室で仕上げを教える所は、ほとんどない。ほとんどの絵の教室は、制作段階までである。出し惜しみか、時間がないのかは分からないが、仕上げまで教わったと言う人は、わが教室でも来たことがない。
わが教室にも、他の教室での経験者はいる。その人たちが、ウチの教室で、仕上げまで面倒見ることに驚く。仕上げ自体を知らないといったほうが良い。 わが教室では、私がOKしないと制作は、完了しない。つまり、仕上げで、引っ張り回すこともある。
なぜ、他の教室ではやらないのか、私には分からないが、仕上げを教えないと、絵を教えたことにはならない。
さて、それほど重要な「仕上げ」とはいかなるものだろうか?
絵の制作で一番重要なことは、最後の最後である。この最後が一番難しい。つまり、幕引きが一番難しいことになる。 これは、ある程度理屈で説明つく。
絵は欲望で描かれていると以前にも述べた。人の夢は、同時に欲望に置き換えることが出来る。夢が絵を描く動機で、欲望がそれを実現するためのエネルギーである。
一旦絵を描き始めたら、夢ではなく欲望が、作者を支配する。だから、欲望の幕引きが難しいという理屈がある。
それと、幕引きを困難にしているのに、もう一つ理由がある。それは、描いている本人が、描いている絵に付き合い過ぎて、自分の絵を客観的に見えなくなっている点である。
客観性を失いつつある人間が、絵の仕上げをしなければならない。 これは、制作の現場での、極、当たり前の現状である。誰でも知っていることであるが、おそらく制作の永遠の難問であるとも言える。
では、方法はないのか?
ないこともないという言い方しか出来ない。絵の教室では先生がいるが、個人制作になると自分しかいない。自分で客観性を持たせると言うのが、答えである。
方法としては、出来るだけ人の絵を見る状態にすることである。
仕上げの段階に入ったら、絵をズーと眺めてはいけない。散歩に行くなり、用事を済ませるなり、出来るだけ絵から遠去かる。 これは、出来るだけ描いている絵を忘れ、次に絵を見た時に客観的に見えるようにという狙いである。
そして、次に絵を見た時に、一番最初に感じたことが、客観的な印象と言うわけである。これは、あくまで、要領の話で、絶対ではない。
出来れば、1年、2年とそのまま見ないと、客観性もほぼ完璧なものになるが、そうもいかないのが、制作である。
したがって、短い期間のチェックは、当てになるような、ならないような話になる。それで、方法が、ないこともないという言い方になってしまう。
制作の最後は、結構こういったあやふやな終わり方をするのが、ほとんどである。残念ながら、完璧な方法はない。だから、仕上げに入ったら、出来るだけ回数チェックするしかない。何度も何度もチェックすると覚えてほしい。
何度も目を変えて見ること、それしかない。それが、仕上げというものである。
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