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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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ドロ沼あり <大人コース 中・上級レベル> ‘08/9/18(木) |
この<大人コース 中・上級レベル>も趣味として絵を描いている人を、対象にしている。 だから、解説も趣味の範囲以内に留めるのが適切であろうが、得てしてそういう風にいかない時もある。 なぜなら、描いている本人が、禁断の地に、足を踏み入れることがあるからである。 その禁断の地に、ドロ沼がある。
絵の世界に禁断の地は、ありはしない。しかし、趣味で描いている人には、禁断の地が発生する。 つまり、制作上の苦しみを味わうことを、禁断の地に例えている。
趣味で描いているのに、どうして苦しまなければならないか? 禁断の地とする所以である。
これは、以前<大人コース 中・上級レベル>の「壁に当たったら?」で述べたことに、近い話である。その中の一節を引用しよう。
「絵を描き続けるとは、一本の道を歩き続けるのに似ている。たとえ趣味でも、同じである。中・上級レベルとなれば、歩いている道の様相も変わる。楽しい道から、次第に欲望の道へと変わっていく。その道は、歩く人の気持ちの変化に敏感である。
(中略) 最初の道は、綺麗に一本に伸びた、真直ぐな道である。壁はもちろんない。そこを歩く人の意識、欲望で、道が変化するのである。」
ここでは、制作上の壁の話であるが、趣味で描いている人も、その欲望によって、あらぬ所に行ってしまうことがある。高い壁もあるだろうし、ドロ沼もある。 壁には具体性があるが、ドロ沼には具体性はない。何となく足元が重い。何となく前に進みづらい。何となく上手くいかない。何となく、何となく・・・・
これが、ドロ沼である。
このドロ沼にはまって、絵を止めてしまう人もいる。楽しくないから。 それも、一理ある。趣味は楽しくなければ、趣味でない。 それもそうであるが、こういう考え方もある。成長を望むなら、楽しいことばかりではない。
どう考えるかは、本人の勝手であるが、私が思うに趣味にも、趣味道があると思っている。趣味と趣味道とは違う。趣味道のほうが奥が深い。何でもそうだが、「道」と付いたら、奥が深くなり、当然、リスクは増える。
そのリスクの中にドロ沼もある。
中・上級レベルの制作には、ドロ沼が必ずある。 「ドロ沼あり」、の警告を読んで引き返すも良し、先に進むも良し。本人の勝手である。 そのことを、とやかく言うつもりはない。人の情熱は、マチマチである。
ただ、指導する側も指導意欲というものがある。 当然頑張る人に優しく、そうでない人には、厳しい。 習う側にも事情はある。そんなことは分かっている。分かっているが、例え趣味でも出来るだけ奥深く、出来るだけ有意義に、出来るだけ絵の世界を知ってもらえるようにと,指導する側は考える。
さて、あなたはどう考える。
絵の世界は、深い。その深淵を覗くのも、趣味の一つの行く着くところかも知れないと、考えるが、
どうか?
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