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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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絵のこころと芸術との違い <研究所レベル> ‘08/7/31(木) |
「絵のこころ」と「芸術」との違いを説明するのが、今回の話である。 この二つは、同じことのように思えたり、全く別なことに思えたり、結構微妙である。出来れば避けたい話題である。
まず、「絵のこころ」と「芸術」との違いは、「絵のこころ」には、芸術的要素を含んでいないという違いがある。このことをまず、確認しておこう。
芸術と言えば、何となくお分かりだろう。難しい話になっていくのだが、基本は、その気負った姿勢にある。芸術は、気負った心から発する。 それとは、別に絵の心は、気負いとは無関係である。 この説明で、ほとんど説明したことになる。ここで理解してもらえると一番助かるが、そうもいかないので続けるとことにして、「絵のこころ」とは、何ぞや?ということから始める。
「絵のこころ」とは、何ぞや?
「絵のこころ」という言葉は、実際には存在しない。わが師、映週先生が言った言葉で、多分オリジナルだろう。 しかし、意味することは、何となくお分かりだろうと思う。具体性がなくても、何となく分かれば、話しやすい。
これは、ズバリ言うと絵というものの、理解を意味している。 絵というものが、どういうものかという理解である。これを、理解していると、絵がどういうものかが分かるため、制作者としては、一人前ということになる。 つまり、先生から学ぶべき基本的な問題が、クリアされているということである。 あくまでも認識の問題で、絵の良し悪しを意味しない。自分一人で判断できるという基準のことである。これについては、エピソードの「100の知識、1000の知識」でも触れたことであるが、免許皆伝の意味合いがある。当然芸術とは、関係ない。
これが、「絵のこころ」の説明である。
では、芸術は、どうなのか。
ここで、免許皆伝の話が、出たので、剣客に例えて話を進めることにする。 例えば、剣を学ぶものが、修行の成果として、師匠から免許皆伝を頂いたとする。剣の道に進むものとして、一人前という証である。
同時に、弟子に指導することが出来るという認定証になるのだが、剣客としては、駆け出しである。 素人もしくは、剣をちょっとかじった相手では強いが、剣客同士での優劣は別な話である。剣客同士の優劣は、その先にある。
その先が、この場合芸術と言うことである。
ややこしくなったと思うので、整理しよう。 「絵のこころ」が、免許皆伝なら、剣客としては、その先がある。その先とは剣客としての道であり、それは、免許皆伝の上に築き上げていくものということになる。 つまり、免許を取ったばかりだと、若葉マークと言うことである。
若葉マークが取れ運転者として一人前になっていく。剣客もしかり、絵もしかりである。 芸術とは、「絵のこころ」の先にあり、剣客として免許皆伝した先にある。芸術とは、精神的な葛藤から生まれる高度な精神作用である。 だから、免許皆伝もしくは、絵のこころの先にあるということになる。
ここでは、芸術については、語らない。あくまで、「絵のこころ」との違いに留める。 芸術については、後日述べるとして、ここまでは、お分かりだろうか?
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