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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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夢の理屈は簡単 <研究所レベル> ‘08/7/29(火) |
夢の理屈は簡単である。
しかし、これを簡単に考えない人間が多すぎる。
私は、若い頃から人の夢の話を聞いてきた。何になりたいという夢の話である。絵描きになりたいとか、漫画家になりたいとか、商売をしたいとか、人の夢は色々である。 若者が夢を語るのは、当然のことである。皆思い思いに夢を語る。そうなると良いねという思いは、皆同じ。
三十代になると、ちょっと違ってくる。男も三十代になると、現実的である。 夢の話は二十代までのハシカのような扱いを受ける。 まだ、そんなことを言っているのかと、随分言われた。三十代になっても夢の話をするのには、勇気がいる。
私の場合で言えば、人が年令によって、考えを変えることが理解できなかった。だから、三十代でも同じ夢の話をした。 夢は夢である。年代によって変わるような夢は見てない。人生の目的の話をしているつもりでいたが、他の人は、そんな風には考えない。三十にもなってそういうことを言うことは、未熟とみなされた。
なぜ、人は夢見てはいけないか、なぜ、夢見ることが若者の特権とすべきか、そのことには、猛烈な反発を感じた。その頃の私は、一人であった。同じ目的だった仲間も大人になり、疎遠になっていた。孤軍奮闘である。
ある時、私と同年輩の男が、酒を飲んだ席で、本当は弁護士になりたかったのだと言った。 結婚したため、断念したという。
こういった話は、よく聞く。 本当は、何々になりたかったが、ウンタラカンタラの事情で諦めたというもの。
私は、ある年代、嫌と言うほど、こういった良い訳を聞いた。 酒の席での本音であろうが、こういった良い訳はとるに足らない。
物事には、情熱の度合いがある。ここで断言しても良いが、なりたいものには、必ずなれる。なりたいと思う情熱は、何物より勝る。 だから、なれなかったと言うことは、その程度の情熱であったということに、他ならない。
良い訳はいらない。その程度だったのである。
夢の理屈は簡単である。なりたいものになることができる。それが、情熱である。なれなかったのは、本人の周りの事情ではない。本人の願望の希薄がもたらした結果である。
そのことを、心せよ。敗者は敗者でしかない。男はその上に立って物を考えなければならない。自分があることに負けても、人生の敗者になったことにはならない。他の道はいくらでもある。 問題なのは、どういう良い訳を考えるかである。それによって、真の敗者になるかが決まる。
夢の理屈は簡単である。ただし、人一人の考えを全うするためには、それなりのリスクも伴う。願望がリスクに勝った場合、夢は叶う。
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