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アート21教室日記
田屋優・・・・・・画家、現代美術作家  西船橋の絵画教室、研究所主宰               (掲載内容の無断転用禁止)
プロフィール

田屋優

Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。
  画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。
 
「西船絵画教室アート21
 アート21研究所」
http://www.art21japan.jp/

 南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
  

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手もどり <エピソード> ‘08/7/12(土)
   私は、世の中で何かを作り出すことが、一番面白いことだと思っている。

このことには、確信があるが、そう思わない人がいることが、不思議でならない。
人生で、一番充実して面白く、張り合いがあって、夢があって、あとに残るもの。

   そんなものは、そう数あるものではない。

子供の頃から憧れは、何かを作ることだった。
   小学校1年だったか2年だったか忘れたが、一緒に遊んでいた近所の子供に村八分にされたことがあった。
   理由は、ボス役の6年生に逆らったからである。

それで、1年ぐらい一人で遊ぶ羽目になった。
   瓶に砂や何かを詰め込み水を入れて、何かの薬品を作っているつもりでいた。その頃の夢は、発明博士。自分が発明博士になったつもりでいた。発明博士は、一人のほうが都合が良かった。

   村八分は、私に何かを作り出す憧れをくれた。

何かに憧れることが、将来を決定することがある。私も、この頃から、何かを作り出すことに憧れた。
   しかし、将来的な職業には、憧れ以前の問題が含まれることがある。

適性である。

   私の適正は、他にあった。

私が、絵以外に職業とするとしたら、考えられるのは、ドラマーである。バンドでドラムを叩くあの職業である。

   何故かと言うと、私は音楽が聞こえると、そばにあるものをやたら叩く習性がある。子供の頃からの習性なので、普通に適正を考えるとドラマーになる。ただ、これは習性の話で、将来的な憧れウンヌンではない。

   祖父がテーブルを叩く習性があった。祖母は、それを<手もどり>と呼んだ。手が情緒不安定ということらしいが、気が付くと小学生の私も何かを叩いている。

祖父がテーブルを叩くので、一緒になって私も叩く。
   「隔世遺伝」と言って、祖母が笑う。

   兄弟で、私だけが祖父の<手もどり>を受け継いだ。

昨年、私の母親の元に行った折、話しながら迂闊にもテーブルを叩いてしまった。
   「この子は、子供の頃から、手もどりするんだよ」と女房殿に言う。
「ウチでも、叩いてます」

   <手もどり>少年は、ドラマーになるのが、自然である。それで、18才の時、バンドに入り、20才の時には、絵の道か、ドラマーか迷った。生涯一度の迷いであった。

   結局、ドラマーは諦めた。<手もどり>青年は、リズム感が悪かった。おそらく、これも祖父からの隔世遺伝であろう。

   では、絵はどうかと言うと、絵の<手もどり>はない。

絵は気が付いたら描いていたということは、私の場合ない。
   必ず絵を描くための前段階がある。まず、最初に何かに憧れ、夢を見、それから絵を描く。そういう順番である。しかし、理屈で描くので、将来的な目的も夢もこれには付いてくる。

   適正って何だろうと思ってしまう。リズム感を置いとくとしたら、私の適性は、ドラマーという職業にこそありそうである。

   リズムを刻む職業の人が、普段、自然にリズムを刻んでしまう習性こそ、適正なのではないか。
   20才代の私なら、答えの出ぬ話であるが、今はそれなりに答えられる。

職業には、二つの適正があると私は考える。一つは、<手もどり>的適性、もう一つは、理屈から入る適正である。

   理屈から入る適正とは、この場合、何かに憧れてそれを具体化したら絵であった、という適正である。具体化する段階で理屈が介入する。これも私は適正と考える。

   絵の<手もどり>はないが、自然に何かを作り出す憧れを抱くことを、憧れ<手もどり>とすれば、この解釈は成り立つ。
   
   <手もどり>は辞書を引いても、出てこない。長野県出身の祖父母の方言かもしれないが、子供の頃から聞かされてきたので、<手もどり>といえば、その意味することは、私には、明確である。
   
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