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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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100の吸収と1%の制作 <研究所レベル> 08/6/24(火) |
今回の話のテーマは、見当つきやすいだろう。文字どうり、100吸収しても、1%しか制作に活かせないという話である。
ここで、止めてもいいぐらい、話の要点は述べている。 だが、そういうわけにはいかないので、続けるが、まず、制作する時の集中度から話を始めることにする。
さて、我々が制作する時には、色々なことを考える。 必ずしも制作のことだけ100%とはいかない。それが人間である。芸術家という人種でも同じである。意外とつまらないことも考えているものである。
それは、普通の人間だからである。普通の人間は、邪念が多い。人間だから。今日一日起こった嫌なことが尾を引いていることもある。
3時間集中して制作したとしよう。3時間ビッチリ集中することは、ないとは言わないが、その間、結構余計なことは、考えている。集中は、恐らく三割かそこらではないかと思う。
つまり、制作的集中純度というものがあったとしたら、三割ぐらいではないかと考えるわけである。あとの7割は制作とは関係ない余計なことを考えている。しかし、人は、3時間ビッチリ集中したと言う。
こういうカラクリは、制作にはつき物である。なぜかといえば、制作は個人的作業なので、体感的なことに支配されやすい。そのため、実際の分量を錯覚しやすいということである。
純度の高い集中も当然あるだろう。50、70%それ以上もあるかもしれない。しかし、私がここで言いたいのは、それほど高い純度は集中とはいわない。集中とは、散漫とワンセットであり、散漫と集中の度合いで、集中というのである。 70%もあったら、集中とは言わず、夢中になったというのではないか。 それでも、30%の余白があるのは、100%に達したら、人間性を失うからである。
さて、前置きが長い。 要点を言うと、制作は、それだけ効率が悪いといいたかったのである。制作は、自分の中のものを、吐き出す行為である。 普段色々なことで100%吸収しても、制作にそれが全て活かされるわけでは当然ない。最大値で10%ぐらいではないか。これも、大マケの数字で、実際は、そのさらに10%も考え得る。つまり、1%である。恐らくそれが正しいような気がする。 だが、しかしである。そこに集中度を絡めると話が、ややっこしくなる。
集中力は、吸収したものを大量に引っ張り出す役目をする。集中的に引っ張り出すのである。だから、制作している時は、集中することが大事になる。集中して、10%ぐらい引っ張り出そうということであるが、前述した三割ぐらいの集中では、とても、クリアできそうにない。
吸収したものの10%を引っ張り出すためには、70%の集中が必要になりそうである。つまり、夢中にやらないと最大値の10%は、無理だろうという話である。
この場合の夢中とは、無我夢中のことである。無我夢中とは、人間性が崩壊するかもしれない危ない集中度のことで、人生に何回も訪れない。
さて、今まで、述べた数字は、あくまで私の予想数字であり、数字自体は参考数字に他ならない。問題は、吸収が減ると制作に響くという事実である。制作するばかりでは、決していい結果は得られないということを、覚えておいてほしい。 ということで、今回は、分かりやすいテーマではあったが、100も吸収して、1%しか制作に活かせないこと、逆に言うと、制作するにはその100倍もの栄養がいることは、やはり認識する必要がある。
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