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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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重箱の隅にあるもの <研究所レベル> ‘08/5/22(木) |
さて、妙な題であるが、一般的に「重箱の隅を突っつくようなもの」と言って、重箱の隅は、枝葉末節の類として、重要でないという意味になる。
これが、一般論ではなく、絵の話となると別である、というのが今回の話である。
絵の世界では、重箱の隅は、どうなっているか? 隅ということで、分かりやすく例えるとする。
例えば、裸婦クロッキーとしよう。最近では、ヌードクロッキーというが、どうもピンと来ないので、やはり、昔ながらの裸婦クロッキーという言い方がいい。
そこで、裸婦クロッキーであるが、絵の勉強としては、立ちポーズがいい。これについては、「裸婦クロッキーの描き方」を多分、大人コース中・上級レベルで、解説予定なので、ここでは、描き方については、詳しくは述べない。
さて、裸婦クロッキーの立ちポーズを描いたとする。クロッキー経験者はお分かりだと思うが、時間に縛られる。30分も立っていてくれない。いいとこ、10分か20分である。
立ちポーズの勉強のしどころは、そのバランスにある。人間は、微妙なバランスで立っている。ちゃんと立つためには、各部所の骨や筋肉が総動員され、バランスを保つ。 そのため、10分や20分では、全体のバランスを描くのが精一杯で、人体の細部までは、手が回らない。 細部とは、末端のことであり、手足や指のことである。毎回こうやって、手足の末端部分を描けないうちに、時間が来る。
つまり、重箱の隅を描かないという例え話である。
確かに、手足の指がなくとも、人間は立っていることは、可能であろう。バランスの問題で、考えれば、指は省略しても良さそうであるが、どうであろうか。
毎回省略となると、問題がありそうである。モデルさんに指があったなら、それを描かないと、人間として成立しない。指が数だけあるモデルさんを描いたという説明は必要である。
というのも、絵の中に描く人物は、五体満足な人間を描くというルールがある。五体不満足な人物は描いてはいけないことになっている。モラルとしてである。 そのため、手足の指を毎回省略では、人物の指は、全体の一部なので、人物として成立しないことになる。
これは、重箱の隅を例えているが、このように、隅にあるものでも重要度は余り変わらないということが、絵の中にはよくある。
それというのも、細部が全体を支えていることが、よくあるからであり、また、なんといっても、必要のないものは、描かないからである。
必要があるものだけが、描かれているのが絵である。つまり、絵の中には枝葉末節はないことになる。重箱の隅にあって隅にあらず。
一見、隅にあるようでも、重箱の隅にあるような隅は、絵の中には存在しない。もし、標題の「重箱の隅にあるもの」の続きがあるとしたら、
「重箱の隅にあるものは、絵の世界では、中心と等しく神経を使う場所である」
となるかな。
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