|
|
プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
|
|
最近の記事 |
|
|
カテゴリー |
|
|
カレンダー |
08
| 2023/09 |
10
日 |
月 |
火 |
水 |
木 |
金 |
土 |
- |
- |
- |
- |
- |
1 |
2 |
3 |
4 |
5 |
6 |
7 |
8 |
9 |
10 |
11 |
12 |
13 |
14 |
15 |
16 |
17 |
18 |
19 |
20 |
21 |
22 |
23 |
24 |
25 |
26 |
27 |
28 |
29 |
30 |
|
|
最近のコメント |
|
|
FC2カウンター |
|
|
FC2ブログランキング |
|
|
ブログ内検索 |
|
|
RSSフィード |
|
|
|
がまんするとこ、しないとこ <大人コース 中・上級レベル> ‘08/5/7(水) |
絵には、我慢のしどころと、我慢しないとことがある。
我慢するとこは、4月18日の初級レベル、「先を急ぐな」で書いたことである。ここで抜粋しよう。
「例えば、絵が仕上がりそうなので、早く仕上がったところを見たい。それで、急いで仕上げる。それで上手く行くなら問題ないが、そうはいかない。そういう時は、意地悪にも、急いだための支障があるものである。」
このような時は、我慢しないといけない。 これは、水彩画の例であるが、油絵にも我慢のしどころはある。
描くという行為は、部分から全体に広がって描く。必ずどの時点でも、部分を描いているのである。こういう場合、その部分に囚われやすい。もう少し、もう少しの思いは、部分にのめり込みやすいのである。
絵は全体が大事である。第三者は全体の印象を見る。そこで、ほとんどの評価が決まってしまう。しかし、作者はというと枝葉末節に拘るものである。気持ちは分かるが、拘りすぎは、絵としての本末が転倒してしまう。
ここらの、判断は難しいが、絵本来の意味は、部分にないことは明白である。部分に拘りたくなった時こそ、我慢のしどころと戒めないとならない。
では、我慢しない所とは、どんな所であるだろう?
これは、描写の最中は我慢しないと言って、お分かりだろうか? 最初のつかみの部分、中盤の描写している最中は、感覚にまかせて描く作業である。感覚を出るに任せて画面に擦り付ける作業であるので、我慢してはいけない。ドンドン描かなければいけない。感覚的作業は絵の制作で意外と少ない。やはり、考えている時間の方が、どうしても多くなる。
だから、この時は、出るに任せる。すぐに、感覚は出なくなるものである。その時に出る感覚の量は、限られている。出ている時に我慢することはないのである。
こういったことは、制作上の要領である。 制作は、画面が相手であることは、言うまでもないが、自分が相手であるという、もう一つの考え方がある。作者は、自分というものを理解し、コントロールしないといけない。
しかし、このことは、意外と知られていないし、解説した本はないであろう。制作は、ただ描けばいいというものではない。画面を見つめ自分を見つめることが、制作なのである。
画面を見つめても、我慢しなければいけないところで、描いてしまって、我慢する必要のないところで、一休みでは、いい絵を描くことは出来ない。 おそらく、中・上級レベルの人たちは、そんなことをする必要はないのではないかと、思っていることだろう。
しかし、さにあらず、中・上級レベルの人たちこそ、そういうことを知っておかなければならない。なぜなら、このレベルの人々は悩みも、いっぱしであるからである。 制作の要領を知らずして、無意味に悩むことは、避けたいとは思わないか?
スポンサーサイト
|
|
|