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アート21教室日記
田屋優・・・・・・画家、現代美術作家  西船橋の絵画教室、研究所主宰               (掲載内容の無断転用禁止)
プロフィール

田屋優

Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。
  画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。
 
「西船絵画教室アート21
 アート21研究所」
http://www.art21japan.jp/

 南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
  

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がまんするとこ、しないとこ <大人コース 中・上級レベル> ‘08/5/7(水)
   絵には、我慢のしどころと、我慢しないとことがある。

我慢するとこは、4月18日の初級レベル、「先を急ぐな」で書いたことである。ここで抜粋しよう。 

   「例えば、絵が仕上がりそうなので、早く仕上がったところを見たい。それで、急いで仕上げる。それで上手く行くなら問題ないが、そうはいかない。そういう時は、意地悪にも、急いだための支障があるものである。」

   このような時は、我慢しないといけない。
これは、水彩画の例であるが、油絵にも我慢のしどころはある。

   描くという行為は、部分から全体に広がって描く。必ずどの時点でも、部分を描いているのである。こういう場合、その部分に囚われやすい。もう少し、もう少しの思いは、部分にのめり込みやすいのである。

   絵は全体が大事である。第三者は全体の印象を見る。そこで、ほとんどの評価が決まってしまう。しかし、作者はというと枝葉末節に拘るものである。気持ちは分かるが、拘りすぎは、絵としての本末が転倒してしまう。

   ここらの、判断は難しいが、絵本来の意味は、部分にないことは明白である。部分に拘りたくなった時こそ、我慢のしどころと戒めないとならない。

   では、我慢しない所とは、どんな所であるだろう?

これは、描写の最中は我慢しないと言って、お分かりだろうか?
   最初のつかみの部分、中盤の描写している最中は、感覚にまかせて描く作業である。感覚を出るに任せて画面に擦り付ける作業であるので、我慢してはいけない。ドンドン描かなければいけない。感覚的作業は絵の制作で意外と少ない。やはり、考えている時間の方が、どうしても多くなる。

   だから、この時は、出るに任せる。すぐに、感覚は出なくなるものである。その時に出る感覚の量は、限られている。出ている時に我慢することはないのである。

   こういったことは、制作上の要領である。
制作は、画面が相手であることは、言うまでもないが、自分が相手であるという、もう一つの考え方がある。作者は、自分というものを理解し、コントロールしないといけない。

   しかし、このことは、意外と知られていないし、解説した本はないであろう。制作は、ただ描けばいいというものではない。画面を見つめ自分を見つめることが、制作なのである。

   画面を見つめても、我慢しなければいけないところで、描いてしまって、我慢する必要のないところで、一休みでは、いい絵を描くことは出来ない。
   おそらく、中・上級レベルの人たちは、そんなことをする必要はないのではないかと、思っていることだろう。

   しかし、さにあらず、中・上級レベルの人たちこそ、そういうことを知っておかなければならない。なぜなら、このレベルの人々は悩みも、いっぱしであるからである。
   制作の要領を知らずして、無意味に悩むことは、避けたいとは思わないか?
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