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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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名画を見る <エピソード> ‘08/3/29(土) |
人の絵を見て、鑑賞眼は鍛えられる。
もっと言うと、比較によって鍛えられるということである。自分の絵を100回、1000回見ても、鑑賞眼は養えないということになる。このことは、なんとなくお分かりだろうか。
感受性の極めて鋭い人間は、自分の中に基準があるということがある。こういった人間は、比較ではなく、自分の価値観を他のものに、充ててその価値を測るといったことがあるが、これは特殊な人間の話で、一般レベルでは、比較が最も有効な手段となる。
では、その比較の対象は、何がいいか?
やはり、昔からある名画と言われるものが、その対象として相応しいだろう。絵の中・上級レベルの者でも、名画に臆せず比較してもらいたい。自分の絵と比べ、人の絵と比べてほしい。
絵の中・上級レベルとなると、知識も増え、見る目も肥えてくるので、名画との比較は、とてもとてもと、思う人が多い。まだ、そんなレベルではないと、遠慮してしまう。 それは、とんでもない勘違いである。絵の世界は奥深い。自分のレベルがまだそんな所にないといったら、一生、その機会はやってこない。
絵とは、限りない夢の追求である。自分の夢を追うために、人は絵を描く。その夢は、自分だけのものであり、自分以外の人とは、一切関係ない。
まだまだ、というなら、それこそ、まだまだですよ、と私は言いたくなる。そういうことではない。過去の名画といわれるものは、宝石箱の中身なのである。それに、憧れ、身をやつしてこそ、絵を描くものの態度というべきである。
名画には、身を投げ出しなさい。どうやっても勝てる相手ではない。何百年の結晶を一個人がどうのこうの言えるものではない。そんなことより、身を投げ出して、心酔して、そこから見えるものを探りなさい。どんな名画も時代を背負っている。その時代に生きた天才たちの残したものである。現代に置き換えられるはずはないのである。
それは、時代を刻んだ金字塔であり、闘いの結果であるが、現代においては、やはり過去のものでもあるに過ぎない。それは、確かな事実である。 現代に生きるものは、その時代に生きたものたちと、同じようにその時代を刻まなければならない。名画を見るとは、これからの、自分を模索する手段であるし、エネルギー源である。
だから、まだまだと言ったことは、口にしてはいけない。 絵の中・上級レベルのとは、美術に深入りしつつある人たちのことである。そのことを自覚してほしい。
これから本当の美術が始まるのである。
たとえ趣味で描いていても、趣味だからと言って逃げることは、すでにできない。逃げれないところに来てしまったことは、あなた方一人ひとりが、すでに自覚していることであると私は考えるが、どうであろうか?
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