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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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真面目人間の真面目な絵 <エピソード>‘08/3/15(土) |
大分、前のことであるが、Tさんという人に絵を見せたことがある。
この、Tさんは、男性で、当時四十代半ば、公務員でとても真面目な人であった。 Tさんは、几帳面で、綺麗好き。何事につけ、キチッとしてないと気が済まない。線を引くのも、ラフで引いた線より、定規で引いた線を好むといえば、分かりやすいだろう。
私が、そのTさんに見せた絵は、ラフなタイプの絵である。つまり、キチッと描いてない。大体、絵はキチッと描いてないものの方が、多いと思う。
Tさんは、曲がった線が気になるらしい。どうして真直ぐ描かないのかと、聞いてきた。当時、そういうコメントをする人間がいるとは、思ってなかったので、随分、ビックリしたものである。
ハッキリ言って、Tさんは、絵には向かない。
絵を描く者でも、几帳面な人はいる。綺麗好きもいるだろう。しかし、絵の中もキチッと整理してないと気が済まないのは、意味が違う。これは過激である。 私は、絵を見せる相手を完全に間違えたということになる。
わが教室には、自分の真面目な性格を、直したいと考えている人がいる。Tさんの逆である。 真面目さの程度によるが、少なくとも、絵の中に、自分の真面目さが、反映されるのは、直したいとのことである。冒険が出来ないとぼやいていた。だから、絵の中では冒険したいらしい。
分かるような気がする。Tさんのように、自分の性格を全面的に容認する人もいるが、殻が破れないと悩む人もいる。
こういう人は、絵に向いている。なぜなら、Tさんには申し訳ないが、自分を容認しては、何も生まれてこない。ずぼらな人が、ずぼらな絵を描き、真面目な人が真面目な絵を描いているのでは、世の中、面白みがなさすぎる。
ずぼらな人が、真面目な絵を描き、真面目な人が、不真面目な絵を描いてこそ、本当のことのように思える。
絵は、人間性を問われる作業である。人間としての中身が絵に染み出てくるので、結局それとの格闘になることは、珍しくない。そのどうしようもない悩みが、芸術を生むということも、芸術の持つ一面である。
さて、芸術まで行ってしまったので、話しを戻すと、絵とは、様々なギャップの上に成り立っているということは、言えるだろう。例えば、外見と中身、自らの性格と理想とする性格、現状と夢、不安と期待、等々、この狭間で、思い悩むことが、絵の原動力となる。
金銭的に恵まれ、性格的に恵まれ、外見で恵まれ、将来も現在も不安がなく、悩みといったら、パーテイ―に着ていくドレスの選択ぐらいの人が、お花畑の絵を描いたら、笑えます。
つまり、ないものねだりが、絵の基本的制作姿勢ということになる。人が何かに憧れたり、夢見るためには、そうでない現実が不可欠である。だから、ほとんどの人間に絵を描く資格があるといえる。
「私は、いいかげんだから、絵もいいかげんになってしまった」という人がいる。また、別な人は、「何度描いても、ヘタだなー」とぼやく。でも、私に言わせれば、その認識こそが、絵にもっとも必要な認識である。
私が、何を言いたいか、もう、お分かりだろう。
「真面目人間の真面目な絵」の本当の意味とは、真面目な人が、その認識なくして真面目に描くことの、無神経さを言っている。世の中、そんなにストレートではない。
人間とは、複雑怪奇である。ストレートな人間がいても、それはそれでいいだろう。ただ、絵の世界にはそういった人間はいないだろう。そんな単純な世界ではない。
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