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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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目で追う? アートQ&A<大人コース(初級)レベル>‘08/3/14(金) |
「目で追う」意味は分かりづらいと思うが、これも、鍛眼法に似たような意味合いを持つ。
以前、私の知り合いで、目でデッサンすると言う人がいた。これは、どういう意味かというと、目で形を追うということである。その人は、イラストレーターであったが、美術大学に入った経緯もあり、デッサン経験者である。
だから、仕事に必要な要素(日常的なコマゴマとした形)を、日ごろから良く見て、記憶して置くらしい。それを、目でデッサンすると表現した。
私も仕事で顔を描いた後などは、人の顔をなぞるクセが今でも抜けない。話している人の顔を観察して、ここがこめかみ、眉は薄く延びてる、鼻はこんな格好、口はこう、といった具合にと、ジロジロ見てしまうことが度々である。
そのために、誤解されることもあるが、絵を描く者は、結構こういう傾向があるのではと、推測する。手には筆は持っていないが、目だけは引き続き作業状態ということは、よくあるはなしである。
目が一番状況把握が遅いのかもしれない。作業は終わっているが、目のほうは、活き活きとしているのは、なぜだろうか。 この「目で追う」ことは、どこでもできる絵の訓練であるだろう。電車の中、バスの中、人ごみ、家でくつろいでいる時も、いつでもできる。様々なものを目で追うことは、絵のテンションを上げるのにも役立つし、発想を促すことにも役立つ。
何よりも、絵筆を持たずに街中で出来る、自己啓発であるといえるだろう。 その効果は、観察と制作感覚の持続、そして、なによりも目でなぞることによって、目の前の世の中の現象を、自分の世界に塗り替えてしまう、イメージトレーニングにあると思う。
絵を描く者は、描いた直後は、一種の興奮状態にあるものである。まだ、描いている状態から覚めず、作業は終了しているが、まだ、頭の中は終わってない。それが、目に出るのではないか。
以前、私は、赤い色ばっかり描いている時に、女房殿の顔を見たことがあった。疲れていたのであろう、女房殿はたまたま、その時青ざめた顔をしていたのであるが、私は、その顔を見て、赤を足したほうがいいと、単純に思ったことがあった。
笑い話であるが、それほど、絵を描いている時は、頭の中が日常と、かけ離れてしまうことがある。
作業は終わっているのに、頭の中では、いや、目だけはまだ続いている。そういうことって案外数多い。 絵を描いていない時でも、目だけは、活き活きとしているって、考えてみると、楽しそうではありませんか。
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