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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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足し算と引き算 <エピソード> 08/3/8(土) |
これは、文化の話である。足し算の文化と引き算の文化の話である。
引き算の文化については、少し題目も、ニュアンスも違うが、二十年以上前に、韓国の学者が論文を発表しており、話題を呼んだ。ここでは、足し算の絵と引き算の絵の話とする。
さて、足し算の絵と言ってお分かりだろうか?
これは、制作方式が、足し算ということである。制作していく過程でのことであるが、足していって、足しっていって、飽和状態になる寸前まで、足して仕上げるやり方のことである。
16世紀のルネッサンス時代の絵を思い浮かべてくれると、なんとなくお分かりだろう。足し算なので、エネルギッシュで、飽和状態になるまで、執拗な制作を繰り返している。これでもか、これでもか方式というか、積み上げ方式である。
この積み上げ方式は、世界中のいたる所で見ることが出来る。エネルギーの発露であり、生命力の発露である。生きている証を鼓舞するような制作方式は、当然といえば当然だろう。 やはり、動物も同じようなエネルギーの発散の仕方をする。絵こそ描かないが、自らの存在を誇示するところは、同じである。もし、動物も絵を描いたとならば、当然、この積み上げ方式の絵になることは、想像するに難くない。
人間も動物も同じ生命体として、生きていることを誇示することに、何の不自然さもない。 したがって、この積み上げ方式は、命あるものの必然的な方式といえる。ヨーロッパ、インド・中国などを代表とするアジア、アフリカ、南北アメリカ、オーストラリアなど、世界中に共通する方式であり、現に文化としても絵としても証明されている。
が、しかし。
一国だけ違う文化、違う絵のセンスをしている国がある。この国の文化の根底にあるのが、引き算。
日本である。侘びさびの感覚である。 侘びさびと言われて、な~だと思うかもしれないが、侘びさびがピンと来なければ、一歩引く感覚といえば、お分かりか。日本での付き合い方の第一歩であり、個人を主張しすぎないという考え方である。 今どきの小学生でも、この感覚は持っているので、今も通用する感覚と言って差し支えないであろう。
一歩前に出る西洋的感覚と、一歩下がる日本的感覚(侘びさびが絡むので、アジア的謙譲の精神と違う)との差は大きい。二歩違ってしまう。 この感覚が、侘びさびや、引き算と通じていると考える。
中世以降に形成された、侘びさびに代表される引き算的この美意識は、世界中のどの国にもある動物的な生命力と逆行するものである。 当然、絵にも影響を及ぶす。
絵の制作方式で、引き算が出来るのは、日本人だけではないだろうかと考えてしまう。現在に生きる私でさえ、絵を引き算することの意味は、理解できる。実際にはやらないが、意味が分かるのは、どうしてだろうか。
理解できるのは、私だけではないだろう。絵を専門としていなくとも、その意味することは、なんとなくでも分かるだろうと思う。 それは、日本の風土が生み出したというより、日本の教育制度の中に染み渡っていることが考えられるし、人間関係、伝聞、伝承、伝統、全ての中に、染み込んでいるのではないかと思う。
引き算された文化、引き算された絵の中に美意識を見出せるのは、日本人しかいないと思うがどうであろうか。 これは、とてもユニークなことである。こと絵に関して、この感覚を使わない手はない。 と、思うのだが、洋画の積み上げ方式を教わった私には、ちょっと時間が掛かる。
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