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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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品格は一日にしてならず <研究所レベル> 08/3/7(金) |
アートは、下品であってはならない。
上品ぶることが、あってもいけない。自然に制作した状態に、品が出るのがいい。だから、品は目指すものではない。滲み出てくるものであるため、制作している時に考えるものでもない。
もし、絵の分かる人(信用のおける人)に、絵が下品だと言われたら、絵をやめたほうがいい。絵を描く資格はないといえる。
私が、二十歳の時、顔を描いた絵を、わが師匠の映周先生に見せたことがある。その頃の私は、とても反抗的で、映周先生を怒らしてやろうと思い、顔の鼻の部分を男根にして描いた。
「こんな下品なものを描くな!」と言われたかった。 当時の私にとって先生は、権力の象徴であるともいえた。造反有理といった言葉がはやっていた頃である。太刀打ち出来ない相手に、子供のような無邪気な抵抗をしたつもりであった。
ところが、映周先生が言った言葉に驚いた。「君は、下品な絵が描けないねー」 私は、自分の目論見が完全に外れたことを知った。 以後、私は下品な絵が描けない人間なのだと、落ち込んだことがある。
当時の風潮であった、ブラックユーモアとか、ワザと下品に振舞うことで、体制への反発と考えている若者にとって、才能がないと、言われたのに等しかった。
今、思うと馬鹿げているが、ブラックユーモアを描くためには、下品である必要があった(当時はそう思っていた)。そんなことがあって、立ち直るのに随分時間が掛かったが、結局、自分で自分の下品度テストを、したようなものだった。
諸君は、下品な絵を描きなさい。下品度テストです。 下品だと思う絵です。表面的には、男根であろうが女性性器あろうが、世間一般で嫌われる下半身のことであろうが、糞だろうが、一向に構わない。そういう面のアートの懐は大きい。
問題は、そんなところにはない。アートは内面の世界である。内面が下品でなければ、俗悪にはならない。 アートと俗悪は、紙一重である。表面か内面かの見分けは、アートの専門家でも迷う話である。だから、世間一般の誤解を招くが、アートなら真実を語るものなので、自分が純粋な気持ちで、描いたものなら、自信を持ってアートだと主張するべし。 味方が現れなくても、たとえ、自分一人でも、そう主張すべし。
アーテイストとは、人を説得し、引っ張っていく立場の人間である。誰も付いて来なくても、自分は主張し、前に進むのである。
いずれにしても、アーテイストの内面が下品では、話にならない。こういった例は実際にある。 私がかって知っていた人が、個展をしたので見に行った。 あまり付き合いがない人であったが、段々その人物が、胡散臭く感じ始めた頃に絵を見たら、余りにも下品な絵なので、ビックリした。私が、その人の絵を見た一番極めつけであった。
人物画であったが、その人が、そこにそのまま描かれているのではないかと、思ったほど内面を語っていた。胡散臭い人物の胡散臭い絵であった。 そういうものを人に見せてはいけない。トイレの便器の中を覗き込んだような嫌な感じがした。
断っておくが、これは前述したブラックユーモアとは、全く関係ない。ブラックユーモアはもっと気の利いたものである。 汚いものは、やはり汚い。下品なものもやはり下品である。
どんなことをしてもいいが、芸がないものは、見るに耐えない。ただ単の露悪趣味とか、露出趣味は、どう転んでも、アートとは関係ない。 品格は一日にしてならずであるが、諸君の内面が純粋であれば、下品さは、諸君とは関係ない。純粋に、ひたすら純粋に制作していれば、品格は向こうのほうからやってくる。 そういうものである。
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