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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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光と影は、子供は描かない <キッズコース> ‘08/2/12(火) |
光と影を、描いた子はいない。特に影を。
理由は、分からない。なぜだろう? 女の子に自由に絵を描かせると、定番の太陽を画面の上に描く。下には、自分やお友達を描くが、影はない。太陽があるので、天気はいいはずなのに、影はないし、服にも影は描かない。これが、不思議でならない。
ものを見る、観察力が未熟なのか、描きたくないのか(影は暗い印象なので)、それとも、頭の中のイメージに影そのものが、存在してないのか、ハッキリしたことは、分からない。
そもそも、皆が、同じように描かないのには、理由がありそうである。そこで、考えた。
なぜ、子供は、光と影を描かないのか?
これは、あくまで自由に絵を描かせた時の話である。ということは、絵は、まず、頭の中から出てくるので、頭の中にイメージがないと考えられる。 皆、描かないのだから、皆、イメージがないことになる。影に対するイメージがない。つまり、影に対する認識がないことになる。4才から小学6年まで。
こんなことが、あるだろうか?なぜ、影を描かない
観察力が未熟なら、小学6年ぐらいなら描いてくれそうだが、小学6年の頭の中にも影の認識はない。ということは、ものを見る、観察力が未熟というのでは、なさそうである。 描きたくないのも、ハズレであろう。全員が描きたくないのは、さすがに、不自然である。
では、どうしてか?
大人は、どうであろうか。大人は、影を描いたり、描かなかったり、ではないかな。 当然、影の認識はある。人によって、その時の、状況又は、気分で影が出現する。これは、私も目撃しているので、確かである。詰まるところ、影の認識とは、リアリテイーに対する認識となりそうである。
さて、古代の洞窟の壁画や、岩盤に描かれた古代絵にも影はない。エジプトの顔の横向き壁画にも、影はない。これは、何を意味しているのか。 考えるに、仮説であるが、絵空事として描かれたのではないかと思う。絵空事で悪ければ、模様ではどうか。模様には影はない。 つまり、現実の世界を反映するのではなく、現実とは違う「絵」の世界を描いていると考えると、納得もいく。現実は、現実、絵は絵である。だから、影はない。 影は、即ち、現実との架け橋となり、リアリテイの発露となるので、断ち切ってあると考えると辻褄が合う。
現代の大人は、絵が単なる絵空事でないことを、知っている。また、絵にリアリテイがあることも知っている。だから、影は、自然に意識する。
もう、結論が出そうである。
子供の頭の中にあるのは、絵空事、若しくは模様に似た絵柄であろう。だから、リアリテイの認識は、初めからない。小学6年生にもない。しかし、大人にはある。どこかの年齢から、このリアリテイが、頭の中に突如出現すると考えられる。
絵の世界で、子供の絵は、大人に引き継げないという言い方がある。子供の時に、どんなに絵が上手くても、そのまま引き継ぐとは限らないという話である。 リアリテイの出現によって、子供の絵は、大人の絵へと変わっていくのではないか。そこで、ガラリと変わる。
これは、子供の世界にはない、異性とのSEXの問題が絡まるからと、考えられている。異性とのSEXの問題が、子供の頭の中の夢の世界から、より現実的な世界へと、導いてしまうのである。それは、SEXを具体的に意識する年代が、子供の絵から大人の絵に変わる転換期に符合する。 それこそが、子供から大人へ、影に代表されるリアリテイ介入の瞬間である。
では、さきに、子供に、影があることだけを教えればどうなるか?自然の成り行きに任せずに、影があるという現実だけを教えたらどうなるかである。 この答えは、意外と簡単そうだ。子供は、影を認識してないので、気にしない。影を描きなさいと言えば、影を描く。ただそれだけであると考える。
さて、思うに、子供は、子供の絵のままでいい。子供はいずれ大人になる。嫌でも巣立っていくのが、子供である。自然で無理のない、成長が一番いいと考える。 その子供としての健康を保つためにも、子供の絵のままでいいと、考えるがどうであろうか。 絵は、その年代の子供にとって、どうしても必要なものではない。情操教育は、他にもある。子供の自然な成長を妨げてまで、しなければならないほどの、絵はない。
第一、どの子もリアリテイが、頭の中にあったのでは、自由な発想は出来ない。自由な発想は、成長期の頭の中の内径を広げる役目をする。だから、子供の頭の中から「リアリテイ」が落とされていると考えるべきであろう。
したがって、結論は、子供の絵には、影はいらない。影も、陰も、子供には無縁でありたい。
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