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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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M君のドラム <エピソード> ‘08/2/9(土) |
M君は、私より三つ年が下である。
M君と知り合ったのは、私が、まだ大学四年生で21才、彼が、18才であった。九州から家出同然で出て来たらしいが、詳しいことは、知らない。
私は、18才からバンドでドラムを叩いていた。ロックドラムである。二十才頃、一旦辞めたのであるが、その後釜がM君であった。バンマス(バンドマスター)の前原が雑誌で募ったらしい。
やたらドラムが上手いと、バンマスの前原が言っていた。「芸術の話とか、難しい話が好きみたいなので、お前と話が合いそうだ」、 「でも、音楽の話は、止めておいた方がいい」と注意された。「音楽の話を仕出したら、朝まで喋っているぞ」
髪を肩まで垂らし、細いジーパンを穿いた、痩せこけたM君に、その後、しばらくして、会うことになった。初めから、話が合った。音楽の話もした。18才であるが、自分の考えをキチッと持っている、そんな若者であった。確かに、音楽の話は、長い。
当時、私も友達の中では、難しい話が好きな男と見られ、そういう意味では、はみ出し者であった。後輩としてのM君を私は、すぐに気に入った。喫茶店で、いつまでも話し込んだものである。 今から、思うと、一体何を話していたのだろうか。とうに、話をした内容は忘れてしまったが、21才と18才の若者の話は、どんなだろうか、録音があれば、聞きたいくらいである。さぞ、熱く語っていたのだろう。
私が21才といえば、「天才」の二文字を肩に背負っている頃である。生意気この上ない。今の私でも、当時の私とは、付き合いたくない。人と議論して、口げんかは、日常茶飯事である。手が付けられない嫌な若者であった。
ところが、M君はそんな私を気に入ってくれた。私を、慕ってすらいる。 M君は、たまに、ドラムの仕事をしていたが、ほとんど、ブラブラしていて、万年金欠である。だから、M君と会う時は、喫茶店代は私が出していた。 私も、学生なので、どうやって工面していたのだろうか。おそらく、親ががりであろう。申し訳ない。
ある時、M君のドラムを聴く機会があった。それまで、話ばかりで、彼のドラムを聴いたことがなかった。バンマスの前原が、新宿の歌舞伎町の裏で催す、パーテイーの仕事を取ってきた。ドラムは、もちろんM君である。ギターの柴田も「あいつはいい感じだ」と、言っていたので、期待が膨らむ。
ある夜、パーテイーが、始まった。音楽が始まると、皆一応に踊りだす。私は、一番前で、かぶりつきである。切れのいいドラムが鳴り響いた。あの夜のことは、今でも覚えている。なんと、魅力的で力強いドラムか。私は、彼の才能を直感した。酔いしれた。
M君は、私の知る限り、四度引越しをしている。そのうちの二度目は、私のアパートに半年、居候していた。押しかけである。ある日、やって来て、半年いた。 私も、大学卒業と同時に武蔵野市の実家から、杉並区の阿佐ヶ谷のアパートに移り住んでいた。 ほとんど、毎日、色々な話をした。夜中に腹が減ると、阿佐ヶ谷スープを飲んだ。コンビニがまだない時代である。夜中に腹が減っても食べ物はない、特に私のアパートの部屋には。
それで、お湯を沸かし、醤油とサラダ油を垂らしたスープを飲んで、飢えを凌いだ。私が住んでいた阿佐ヶ谷にちなんで、阿佐ヶ谷スープと命名した。
その後、色々あって、私が結婚する頃には、あまり会うこともなく、そのうち、疎遠になった。
でも、今でもあのパーテイーの夜の感動は、覚えている。 私にとって、ロックドラマーといえば、M君である。切れ味よく打ち出されたリズムを、おそらく、今後、忘れることはないであろう。 三十年以上前の話である。
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