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アート21教室日記
田屋優・・・・・・画家、現代美術作家  西船橋の絵画教室、研究所主宰               (掲載内容の無断転用禁止)
プロフィール

田屋優

Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。
  画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。
 
「西船絵画教室アート21
 アート21研究所」
http://www.art21japan.jp/

 南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
  

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一流を目指すな <研究所レベル>
   プロを志望するものが、一流になりたい気持ちは分かる。だから、これからの話は、「一流になるな」という話ではない。

   一流といえば、ステータスの象徴であり、プライドであり、差別意識である。差別意識なくして、「一流」という言葉は、生まれない。何を差別しているかといえば、その他の、低級、かつ未熟なものからの差別であろう。
   差別が悪ければ、区別でもいい。二流以下と区別していることになる。それは、ステータスの認識であり、プライドの発露である。

   それは、悪いことではない。様々な職業があり、職業意識がある中で、トップを定めておくことは、合理的であるし、分かりやすい。

   では、それだけの、ステータスの象徴とプライドと区別意識たる認識を、目指して手に入るものだろうか?
   金銭が、絡まないことはお分かりだろう。一流とは、その内容のことであり、報酬のことではない。

   この問いかけだけでは、分かりづらいので、例を挙げよう。例えば、技術系だと一番上手いのが、一流かと考えたとする。学校で一番上手かった。職場で一番だった。料理でも言いし、歌唱力でもいいし、車の運転技術でもいいし、そして絵でもいい。

   その一番の人を以って、一流とする。
これでいいだろうか?何かおかしくはないだろうか。これでは、単なる順番である。
   ある日、その者よりもっと、上手い人が現れたら、その者は一流の座から転げ落ちることになる。大食い大会の勝ち抜き戦の様相になってしまう。

   それだけで、ステータスの象徴とプライドと区別意識たる認識が発生するとは、とても思えない。第一、ステータスの象徴自体が、一番だからという理由だけでは弱いと思わないだろうか。

   つまり、一流とは、一流たる認識世界にいるということである。その認識世界は、目指すには、余りにも抽象的である。何を、どのように目指したらいいかは、考えたって分からない。

   一流は、目指すものではない。なるものである。なってから気が付くものであると、定義しよう。

   では、どうすれば一流になれるかといえば、方法はいったって簡単である。自分の夢を追うことである。一流になる夢ではない。自分が、やっていることの夢を追うのが、一流になる唯一の方法である。

   したがって、自分のやっていることに、夢を見れない輩は、一流になる資格はない。

   絵の話に戻っていうと、自分の描きたいものを描きたいとするのが、アーテイストたる考え方である。自分の夢に対する具体的なものを、持ってなくとも、自分の中にモヤモヤがあればいい。自分の描いたものが、どこか違う。と直感してればいい。

   もし、それもなければ、アーテイストになることは、諦めた方がいい。自分の信念が、アーテイストを生み出すので、核がなければ、なりようがない。

   さて、「夢を追うのが、一流になる唯一の方法である」の続きの話をしよう。絵の世界に限って言うと、一流という表現は、絵の世界にはない。「芸術家」という表現になる。最近では、あまり流行らない重たい言い方であるが、ステータスの象徴とプライドと区別意識たる認識の、全ての意味を含んでおり、さらに、夢追い人の意味も含んでいる。

   話が、前後するが、一流の定義に、ワザと夢追い人の意味を入れなかった。これが入ってないと、ただの立派な人になってしまう。話しが、本題に入ったので、以後付け加える。

   夢を追い続ける人間を、一流と称し、芸術家と称する。したがって、夢追い人にとっては、「一流」は、何の意味も持ってない。ただ、世間がそういうだけである。気が付いたら世間に、一流と呼ばれ、一流たる認識世界にいたということである。だから、一流を目指すなという話しになる。

   では、一流を目指したらどうなるかだけ、教えておこう。結果は、二流になるのである。理屈でいえば、二流を目指せば、三流になるということである。

   つまり、便宜上の順番でいうと、夢が一番。これは、手に入らないものと言っておこう。次が、一流、又は、芸術家、そして、二流又は、二流の芸術家、以下点々。
   自分が目指したものが、一段下がる。これが人の持つのエネルギーの皮肉である。

   簡単な例を出そう。空手をやっている人が、板を割るところを、何かで見たことがあると思う。
   あれには、コツがある。地面にブロックを二つ置き、その上に板を渡す。それを割ろうとする時に、板を割ろうとしたら板は、割れない。地面を叩こうとして初めて割れる。

   もう、お分かりだろう。一流になりたかったら、夢を追いなさい。そうすれば、気が付いたときに、一流になっているという理屈がある。これは、理屈で考える人には、分からない理屈である。こういう、トリックが人生には、色々ある。

   この、トリックは、計算違いを生む。一流になりたいと思っていた人間が、一流になったとする。一流になったということは、どこかで夢を追いかけた、ということなので、すでに、夢に足をガブリと噛まれているはずである。すると、一流に憧れたはずが、結果、一流と呼ばれても、たいして、うれしくない状況になっている。夢の実現から比べたら、どうでもいいことであると、考えているはずである。

   それこそが、一流の認識というものである。
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