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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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制作技術 <研究所レベル> |
1/18日の大人コース(中・上級)レベル、「マチエール作り」の中で、制作技術について、触れたので、ここで、もう一度繰り返す。
「絵に必要な技術として、描写技術と制作技術がある。描写技術は、描写する上で必要な技術のことで、描く・塗る・写すなどのいわゆる、一般的に考えられている「絵を描く」行為そのものに必要な技術のことである。 しかし、それだけでは、絵は完成しない。考えるという作業が抜けている。絵を描いていると、この考えている時間は、馬鹿にならない。 この考える作業を、技術と捉えたのが、制作技術である。」
と、述べた。 さて、今回は、一般に知られていない制作技術について、書くことにする
そもそも、制作技術という言葉は、存在しない。これは、私のオリジナルである。 絵(特に、ここでは油絵制作とする)の世界で一般的な言い方は、「描き始め」「描写」「仕上げ」といった所であろう。意外と簡単な区分けしかない。これは、一番大事な作業を分けると三つになるということである。この中でも一番大事で難しいのが、「描写」である。
「描写」に関して、丁寧に解説した本は、ないと言っておこう。肝心な所は省いている。高次元の描写になると、描き方の手順でお終いということが、よくある。
「肝心な所」とは、「どうすれば、お手本のように描けるか」ということである。この、肝心な所に描写の全てがあり、描けない人は、描けるようになるまで努力しなさいとの、暗黙の了解がある。つまり、描けない人は、対象にしていない。だから、省いている。 高次元の技術は、理屈では手に入らないことを、暗黙のうちに、言っているのである。したがって、高次元の「描写」に関しては、ああだ、こうだいっても仕方がない。だから、私も省く。
さて、「描き始め」「描写」「仕上げ」の三つの作業のうち、制作技術に関係するのが、「描写」と「仕上げ」である。制作技術は、描写技術と平行していると思ってもらいたい。
制作技術は、考える作業なので、「描き始め」の時も、描写技術と平行して横にあるが、「描き始め」の時から、考え出す人はいないので、100%描写技術だけで、作業が進んでいく。 「描き始め」が一段落して、中盤の「描写」に入る時に、制作技術にスイッチが切り替わる。さて、どうしようと、大抵の人は、考えるだろう。そして、「描写」の段階では、描写技術と制作技術とを、せわしなく行き来する。「仕上げ」の段階では、ほとんどが制作技術である。
考える作業が、制作技術であるが、技術なので要領がある。 まず、最初に言えることは、考える時は、徹底的に考えることである。この場合、筆は止まっている。つまり、描いてないわけで、腕組みして考え抜くことである。
よく、描きながら考える人がいるが、これは間違いである。描いている時は、感覚と勘を働かせる。これが、描写の基本である。つまり、感覚と勘を働かせながら描くことが、描写技術であるので、考えることは、してはいけない。考えながら描くと、観念的になりやすいのである。だから、描くことと、考えることを別にしている。
もっと、砕いて説明すると、描写をしている時には、画面が、感覚で満ち溢れていないと、いけないのである。絵は感覚的なものであるといっている。描写の時に、感覚を沢山出さなければ、出すときはない。
そして、制作技術にスイッチを切り替えた時に、考え抜いて感覚を整理するのである。
さて、絵には、ワナが、至る所にある。出来れば避けたい。ワナに、はまったら、抜け出すのが容易ではない。また、はまって、また、はまってを、繰り返していたら、それだけで、エネルギーを消耗してしまう。せっかく「感じて」いたものも何処かへ行ってしまう。
だから、制作技術の二つ目の要領は、ワナを見つけよとなる。ワナを見つけることが、そもそも技術である。その技術については、説明しない。ワナの種類だけでも、百、二百とある。説明しきれない。
ただ、一つだけ例を出そう。 例えば、画面上に赤、赤、赤とおおよそ5cm間隔で色を振ったとして、大丈夫と思うわけである。ところが、三つ目の最後の赤を振った時に、「オセロゲーム」のように、その線上にある他の色が、全部赤に引っくり返るということがある。 もちろん、感覚的にである。油絵なら、そのあと塗りなおせば済むが、水彩だと大ごとである。だから、ワナのうちに入る。
とまあ、長くなるので、途中であるが、制作技術というものが、少しは、イメージされたのではないかな。これについては、また後日、「制作技術-2」として解説することにする。 また、もっとも制作技術らしいのは、「仕上げ」なので、これも、力を入れて説明せねばなるまい。乞うご期待とする。
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