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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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型はめ制作、型なし制作―2/2 <研究所レベル> |
さて、前回、「絵の世界は、感覚の世界であるため、アプローチの仕方は様々である」と述べた。また、「絵のもっていき方には、型がある。いわゆる、マニュアルである」とも述べた。
マニュアルは、先人達が作った道しるべである。型なし制作は、この道しるべを、無視しようとする試みである。知っていて無視するので、作業は難しくなる。
だが、方法はある。
まず、考え方を言う。 絵を描き始める時の、洋画の考え方は画面の分割である。だから、描き始めに画面を分割しなければいい。また、絵画とは形である。形、即ちデッサンであるので、形をとらない。まあ、これは現代美術では、形をとらないものは、いくらでもあるので、これは問題ないだろう。
次に、描き進めていくうちに、画面上の整理をする段階があるが、この整理をしない。これには、画面上の上下左右の役割を、無視することも含まれている。仕上げの段階も省く。
以上を、実行すればマニュアル無視もいいところである。しかし、驚くなかれ、これを平然とやっている者がいる。
子供である。わがキッズコースの子供たちは、ほぼ全員これである。やり方を知らないために、結果的に型なし制作をしていることになり、子供の絵が自由奔放ですばらしいとされる所以である。 ただ、あくまで、これは、美術の話であり、知的操作の話なので、子供がそうであるからといって、真似する話ではない。
型なし制作の一番の目的は、感覚の開放である。型にはめ込まずに、感覚をできるだけ大量に引っ張り出そうという試みである。
では、どうすればいいか?
私が、考えたのが「3cm四方画法」である。3cm四方を一つの絵として捉え、これを広げていく方法で、落書きの応用である。
落書きは、端から描いていく。それが、図に乗って広がっていくわけなので、全体の画面割りはない。もちろん意識してないので、ややっこしい絵画的形はない。画面の整理もないし、仕上げもない。
また、落書きは、今、描いているところがもっとも重要なので、約3cm四方の集中的制作を基本とする。したがって、仕上がった時の全体の調整は一切行われない。
このやり方は、アメリカなどの落書きアートで、すでに実行されているが、絵のマニュアルを知っている人間がやったらどうなるかという試みである。
マニュアルを知らなければ、単なるナイーブアートになるが、マニュアルを知らない人間でも、一般的な絵は見ているので、どこかにその影響が出ると考えられる。知らないだけに、どこかでマニュアルと交差している部分が、あるのではないかと考えてしまう。
出来るだけ純粋なマニュアル無視を望んでいるので、確認する意味でも、マニュアルを知っているほうが、都合がいいのである。
さて、マニュアルの逆、といって何があるかである。 ここで、整理しておこう。まず、マニュアルがある。そしてナイーブアートのようなマニュアルと交差したものがある。そして完全なマニュアルの逆がある。
では、マニュアルの逆をすれば、本当に感覚は開放されるのか? これには、答えづらいが、一応考えるだけはしよう。
感覚は、非常に弱い生き物だと仮定しよう。その弱い生き物は、それ自体取り扱い注意なので、箱づめして、流れ出さないように守る。
それで、古来一番効率の良い守り方はないかと、模索した結果が今の形の箱詰めとなった、といえば分かるだろうか。
感覚の開放は、考える以上に難しい。しかし、箱詰めされた感覚を、ある便宜上から、閉じ込めてしまうのは、余りにも勿体ない。いい方法があれば、迷わずにそれをすべきである。 そのことは、いつの時代も問題となってきた。より自然の状態で考えようとか、自然を、より、感じた状態に近づけようとか、試行錯誤が繰り返されてきた。自然を見たものから、頭の中にある自然を描き表わそうと変化してきたのである。
前者が、具象絵画であるし、後者が、抽象絵画である。そして、現代美術に至っては、頭の中にある自然を、もう一度捻って、絵画という枠を取っ払い、「感じる」ことを中心とした美術を生み出そうとしている。
確かに、「3cm四方画法」は、単なる試みにすぎない。でも、考えられることは、全部やるのが、また、美術を目指すものの使命でもある。 「3cm四方画法」を試みて、少なくとも次のステップのヒントが掴めれば、大もうけである。
マニュアルの逆が、感覚を開放するかは、今は、答えられない。マニュアルが感覚を縛り付けているのは、疑う余地はないので、逆をすると、取り払えるのではと考えただけである。
そういう、わけの分からないことを考えて、美術は進歩してきた、ということだけは、いえる。
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