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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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中国人が、水で道路に字を書いていた <エピソード> |
NHKのBSで、中国の紹介番組があり、地名は忘れたが、公園の道路(歩道のだだ広いものかもしれない)に、水で字を書いていた。何とかさんという会長がいて、そういう会を立ち上げたらしい。
長い柄の先に、筆がついており、楷書だったり、草書だったりする。杖で砂地に字を書くような調子である。水で書いているので、他に影響ない。やたら上手いし、熟語にして、意味を持たせたりする。とても、新鮮な感動であった。
中国映画の中にも、興味深いシーンがあった。字を練習する道場のようなところで、火鉢のような灰の入った入れ物がズラリと並んでいて、箸で字を書く。灰をならして又書く。こうやって練習する。
漢字を生み出した中国ならでのことに思えた。日本では、さしずめ書道教室といったところであろうが、日本では、紙に、墨をつけた筆で書くのではないかな。そういった光景しか思い浮かばない。紙に書くことが大事。墨をつけて、筆で書くことが大事、という気がする。
中国でも、当然、筆で、紙に書く。でも道路に水で字を書く発想は、日本人にはないような気がする。灰に書くのもそうだ。映画の中の一シーンであるが、中国人ならやりそうである。
どこか違う。どこが違うのか考えた。
日本人は、形から入っているような、気がしてならない。つまり、形から入ってそこから出ない。紙に墨をつけて筆で書くことが、昔の日本人の感覚にマッチしたので、以後そうなったのか、それとも、書道とは、そういうものなんだと、先人達が、勝手に決めてそのまんまなのか、そこのところは、不明である。
不明なので、ここからは、私の勝手な推測を書くが、「漢字を生み出した中国ならでのこと」とは、漢字に対する理解度ではないかと、考えた。彼らが漢字を生み出した。
だから、漢字の浸透度は、日本の比ではない。生活に密着している。漢字をよく理解し、浸透しているとなれば、うがった見方をすると、漢字は、筆でのみ書くにあらず、生活の中、自然の中にも存すると、考えているのではないかと、考えてしまう。 中国に行ったら当たり前かもしれない。しかし、日本も何百年も続いた漢字の国である。世界に発信している「書」の評価は低くない。理解度が低いなら、日本の「書」ってなんだとなってしまう。単なる借り物の域を出ないのか、それとも、日本独自のオリジナリテイがあるのか。
確かに、日本人からすると、中国人の「書」は硬い。絵もそうであるが、それが、中国人の合理性から来るのかは、分からないが、日本の書が、それより軟らかいとしても、オリジナリテイには、程遠い。 唯一日本の発明品である、「ひらがな」が含まれるかが、中国と日本とをハッキリ分ける特長であろうが、それとて、付録の感をまぬがれない。
私の推測の結論は、漢字は、筆でのみ書くにあらず、生活の中、自然の中にも存すると考えているとしたら、絵の世界にも一脈、通ずるものがあると言いたかったのである。
中国人の自然観からすると、当然そのように考えていそうだが、世界でも、ユニークな自然観を持っている我が日本人の「書」は、どうであろうか。 とても、中国人のように、生活の中、自然の中、に漢字があると、書家が思っているとは、思えない。
それは、そうなのである。日本人は、そうは考えないだろう。そもそも、そう考える理由がない。 漢字は、できあいで、日本に到着している。どういう経過で漢字ができたかより、漢字で何ができるかと、考えるほうが、自然である。 日本人のユニークさは、アレンジの妙にある。伝来の時より、漢字というもの自体に興味を持ち、「書」自体の中に、自然観を見出したとなれば、納得もいく。
それは、オリジナリテイだし、それこそ、日本的である。
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