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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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どう見、どう考えるか <大人コース(中・上級)レベル> |
中・上級レベルになると、絵のウンチクもあり、なかなか、うるさい。特に上級者。
わが教室で、上級レベルといえるのは、一人だけである。あとは、やはり、経験年数が、10年前後の中級レベルが、多い。
上級レベルのOさんは、経験年数が、30年ほどあり、教室でも私の次ぐらいの経験年数である。私が、40数年。 ただ、それを、どう過ごしたかが問題で、30年なら、絵を理解するのには、十分な年数であるが、やはり、仕事として取り組んでないので、残念ながら、絵を理解するまでには至ってない。
Oさんのことを、少し、補足説明すると、実は、刺繍の先生である。その、絵柄のための、絵画勉強のため、趣味で絵を描いている人とは、一線を画す。仕事がらみではあるが、絵を仕事として取り組んでるわけでもないので、これも、一線を画す。特異な上級者である。
上級レベルは、描くことに関しては、教えることはない。絵を見たら分かるが、教室の先生ではないかと思うほどの腕を持っている。デッサン力といい、描写力といい、知識といい、やはり、中級者の上をいく。もちろん、基礎的土台の話で、優劣の話ではない。
さて、これだけの、土台を持っている人は、あと何を学ぶのかという話が、今回の内容である。
上述したように、絵柄のための、絵画勉強である。そのため、時折、絵よりも絵柄よりの仕上げになりやすいことがある。刺繍の絵柄は、ハッキリしてないと、いけないらしい。しかし、絵画教室には教室なりの考えがある。その調子で、絵画教室で、描かれても困るのである。
絵柄がハッキリすると、デッサンが、やたら見えてしまう。研究所レベルの<「デッサンが基本」は、本当に正しいか?-3/5(三章)>の中で書いたが、デッサンが先に見えて、メッセージが伝わりにくいという現象を引き起こす。
絵の世界では、これを注意しないわけには、いかない。上級者レベルだと、こういうワナがある。 こういった事は、絵に対する考え方の問題であり、自分の絵を「どう見、どう考えるか」ということになる。
標題の「見る」とは、自分の絵をどう見るか、ということであり、「どう考えるか」は、見たものをどういう考え方で、進めていくかということである。
つまり、Oさんが、今後、学ばなければならないことは、このことである。
「仏作って魂入れず」というコトワザがある。仏(仏像)を作るだけでも、基本的技術、応用技術、素材・道具などの知識を始め、相当な修練を要しそうである。その上、魂まで入れよとは、難しい話である。
絵の世界に置き換えると、仏像を作るところまでは、一緒である。魂は抽象的すぎるので、<「デッサンが基本」は、本当に正しいか?>の中で、述べた「メッセージ」なら該当しそうである。
つまるところ、制作とは、技術とメッセージ(魂又は心)から成り立っていることを、このコトワザが言っているのである。そして、このメッセージが十分に発揮されているかを、見抜く「見る目」が、必要であるし、どうすればいいかを、考える知力も必要である。
「どう見、どう考えるか」かは、あくまでも、技術に含まれる。メッセージは、絵を描き出す時の、動機に含まれている。だから、普通に制作していれば、「仏作って魂入れず」の皮肉なコトワザの餌食にならずに済むはずである。
さて、Oさんは、ほとんどの絵の修練は、他の教室でやっていた。たまたま、長く指導に当たっていた先生の他界により、わが教室にやって来た。 Oさんのはまったワナについて、初めて指摘したのが、私だったようだ。他の先生は、刺繍のための勉強なら、好きにやらせようとの考えから、言わなかったのか、どうなのか、今となっては、不明であるが、Oさんのはまった、上級者ならでのワナは、一言で言って、過信が原因である。 本人も後で、そう告白していた。過信したために、目が濁ったのである。刺繍のための絵の制作であるが、同時にそれは、それで、絵として成立していると、思っていたことである。結構上手く描いているつもりでいたらしい。
「見る目」のところで、すでにつまずいていた、ということになる。この先、「見る目」を養い。「どう考えるか」に至ってもらいたい。「どう考えるか」かは、本人がどう感じ、どう考えるかということなので、私には分からない。 ただ、自分で考えるという作業の追加は、上級者には相応しい課題である。
上級レベルは、簡単にはなれない。Oさんは、過信はしたが、それを素直に認める、能力が、Oさんを上級レベルにしたのである。
上級レベルには、技術と考える知力の両方を期待する。「どう見、そして、どう考えるか」 そのぐらいのことは、してもらうことになる。
(なお、この講義では、便宜上、初級・中級・上級とに分けている。絵の精神からすると、段階分けは、適当ではないが、対象者を絞っての解説は、必要不可欠なので、お許し願いたい。)
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