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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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考え方が大事 <大人コース(中・上級)レベル> |
絵の世界には、正しい考え方というものがある。
いつも言っていることだが、こうしないといけないと、いうルールはない。こうしてはいけないと、いうルールがあるだけである。何百年かで、先人達が学んだことが、ルール化されている。 「こうしないといけない」ことと「こうしてはいけない」ことの違いを説明しよう。 「こうしないといけない」とは、範囲を限定する。「こうしてはいけない」は、範囲を限定しない。 この説明で、分かるだろうか。美術とは、限りない夢の追求を軸とする。範囲を限定されては、何もできない。範囲を限定しない「こうしてはいけない」という先人たちの経験と知恵の結晶が、ルールとして受け継がれている。
それが、王道である。それを、正しい考え方という。
ただ、ルールだけでは、事足りない。当然、産み落とされた知識も必要である。したがって、「ルールと知識」が制作上のバイブルとなる。
もし、この知識の方を、無視したとする。すると、例えば、簡単な話、透視画法に到達するのに、一生掛かってしまう。到達できないかもしれない。 透視画法は学校の美術の時間で、学ぶので、少し大袈裟であるが、そういった、知識とルールは、今あるレベルから始めるのが、もっとも、合理的であり、時間の節約になることは、お分かりだろう。
我々は、そのあとの積み上げをしなくては、ならないのに、わざわざ、初めに戻ることはない。もし、ルールが、どうしても、オカシイと思ったとしたら、それを、正せばいい。そういう、話である。
ルールは、常に改定されるものである。今あるルールが、この先何百年も続くとは、誰も言ってない。300年も経てば、今ある我々は、立派な先人である。我々が、ルールを改定し、100年後に、200年後にと、その時代の人たちが、改定して、300年後に届くのである。
そうやって、多くの才能と忍耐と努力の結晶が、絵のルールと知識となる。大雑把に言うと、今のルールと知識は、500年の歴史がある。500年の知恵の結晶である。
この、ルールと知識を無視して世に出た天才は、存在しない。 少なくともルールを無視しても、知識までも無視したら、先ほどの話のとおり、一つ獲得するまでに、一生が終わってしまう。
絵を描いている者は、先人たちの知恵、知識をを受け継ぎ、あるいは、否定しても、ルールと知識から離れることはない。 ルールと知識を否定する行為は、無視するのと違う。改定しようとの試みにすぎない。前にあるものが、後ろにくるだけである。 自分の夢を生きているうちに完成させるためには、この、ルールと知識から始めることが、必要不可欠である。
だから、どう考えるのが、正しいか、その考え方、知識、ルールを絵画教室で教えている。絵画教室で教えている一番大事なことである。
では、技術はどうかといえば、絵の世界では、二の次になる。なぜなら、時間が経てば自然に身に付くものであるし、努力すれば、何とかなるのが、技術である。 努力すれば、何とかなるものと、努力しても何ともならないものとの、差は大きい。正しい考え方、知識、ルールは、努力では得られないのである。
さて、ここでは、考え方、知識、ルールについて語らない。簡単には語れないのである。状況に応じて果てしなく、増え続けるため、この全カテゴリーの講義から汲み取って頂きたい。
どういう考え方をすべきか、どういう知識があるか、ルールとは。それらを一つずつ学ぶうちに、ある日、全体像が見えてくる。その日が、いつやってくるのかは、私にも分からないが、全体像が見えた時、絵を理解したことになる。
そのためにも、ただ、言えることは、正しい考え方をしていることが、大事である。絵には、横道という邪道が、数限りなくある。上野(今は六本木も)の展覧会場は、そのオンパレードなのである。 つまり、正しいものと、そうでないものとが、一緒くたに展示されている。人々が絵が分からないというのは、この混在が、人々を混乱させているからに他ならない。 絵は、分かる人たちのためにあるとする考え方が、根底にあるので、一向に改善されない。
だから、正しい考え方をしていることが、大事なのである。正しい道を歩けば、少なくとも、邪道は気付く。 そして、いつか、理解する時が、来るかもしれないし、なかなか、理解できなくても、正しい道、つまり、王道を歩いている確信は持てる。 それは、大事なことである。
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