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プロフィール |
Author:田屋優
「絵の多角的分析」を研究テーマに、様々な角度から見た絵の本質を分析解説する。 画家・彫刻家、田谷映周を師匠とし、兄弟弟子に画家・彫刻家、田谷安都子。 自身の弟子に橋崎弘昭、大野まみ、萩原正子。 「西船絵画教室アート21 アート21研究所」 http://www.art21japan.jp/
南船橋ビビットスクエア・カルチャースクール絵画部講師、ウエルピア市川絵画部講師、カーサ・デ・かんぽ浦安絵画部講師、NONSTOP会員。
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壁に当たったら?パート2 <大人コース(中・上級)レベル> |
最近、マチエールの話をしたうちの、3人に2人は、辞めたり、長期欠席している。レベルでいうと、3人とも「大人コース中級」である。うち一人は、積極的に、乗り切って、健在であるが、あとの二人には、困った。壁にぶつかって退却したのである。
マチエールについては、この金曜日に詳しく書くので、ここでは、「壁に当たったら?パート2」を書くことにする。
さて、困ったものである。パート1でも書いたが、結論は決まっている。「続けること、継続こそ力なり」としか、いいようがない。
最近、辞めると言ってきた、Sさんは、もうこれ以上の絵が、描けそうにないとの理由である。本人が、やる気がないなら、私も引き止めようがない。
そもそも、継続するということが、どういうことか分かってない。何年も何十年も楽しみ続けられる趣味は、世の中に存在しない。もし、あるとすれば、向上心の全くない、極めて無神経な性格をした人間の中にしかない。
絵を描き続けるとは、一本の道を歩き続けるのに似ている。たとえ趣味でも、同じである。中・上級レベルとなれば、歩いている道の様相も変わる。楽しい道から、次第に欲望の道へと変わっていく。その道は、歩く人の気持ちの変化に敏感である。そこのところが、大事である。
おそらく、絵の道は一本で、皆、そこを通って行くのだと、考えていると思う。途中に、人を試すように壁があり、何度か、比較的に低い壁を乗り越えて先に進む。それが、ある日、思いもしなかった高い壁にぶつかり、自分に出来るのは、ここまでと言って諦める。多分そう考えたのではないだろうか。
そこが、そもそも勘違いである。絵の道は一本ではない。絵を描く人の数だけある。つまり、自分の、自分だけの道を歩いているのである。繰り返すが、たとえ趣味でも、同じである。 そこに、壁があるのは、初めからあったわけではない。最初の道は、綺麗に一本に伸びた、真直ぐな道である。壁はもちろんない。そこを歩く人の意識、欲望で、道が変化するのである。 だから、壁は自分が作った壁なのである。自分の向上心、欲望が生み出したのが壁となり、その強さが、高さとなる。
つまり、本人は、その高さを越えないと納得しないことになる。私が、根性を試すために、意地悪く高さを決めて、それを、越えられないと、諦めるなら、私も納得する。 しかし、自分で作って越えられないはずがない。自分で、絶対越えられない高さをセッテイングするわけがないのである。 人は、絶対越えられないものは、彼方遠くに置く。だから、たとえ無意識下でも、絶対越えられないものを、自分のすぐそばに、セッテイングするわけがない。そういう理屈はある。
だから、自分で、作った壁は必ず越えられると、断言しよう。まず、それが、一つ。そして、「継続は力なり」を信じることが、二つ。
あと、いま一つは、要領のはなしである。 物事に真剣になりすぎると、糸は切れるということ。なんとなく分かると思うが、壁に対して、神経質になりすぎるのは、よくない。今後も壁は出現する。その度に、騒いでも、仕方ない。どうせ越えるんだと、一歩退く要領ってあります。
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